第8回講演会
プログラム2
「丸山ワクチンについての私見」
兵庫県こころのケアセンター参与
中井 久夫先生
1.結核免疫をめぐる2つの研究 -山村雄一と丸山千里-
皆さま、こんにちは。(拍手)
後ろまで声が届いているかというお尋ねがここにありますけれども、いかがでしょうか。
オーケーですか、それではこの調子で話させていただきます。
ちょっと意外かもしれませんが、丸山先生のライバルというか、丸山先生を押さえたという話もある山村雄一先生のお仕事から入ろうと思います。
山村先生はご自分の主な業績が丸山先生のお仕事から遠くないことに気づいてられなかったのでしょうか。山村先生の主なお仕事は肺の中の病巣の結核菌が死滅し、空洞の内容はチーズ状になって出ていき、菌のいない廓清空洞になる過程の研究です。こうなると、空洞は一種の気管支憩室とでもいうべきものになり、無害化されます。結核菌巣の周囲に繊維芽細胞(フィブロブラスト)が集まり、それが繊維細胞(フィブロサイト)になって繊維で空洞の周囲を固め、その内部を死滅させてチーズ様物質にして、最終的に流し出してがらんどうにする。この過程に免疫が深く関与している。こういうお仕事ですから、私に丸山先生がお示しになった、がん細胞巣の周囲に繊維芽細胞が集まり、それが繊維細胞となり、繊維となって、癌細胞を兵糧攻めにしてゆくという病理標本とそっくりなんです。図に描いてみると、とても似ています。今は繊維細胞系も免疫の情報圏に入っていることが明らかになっているそうですから、免疫が働いてそうなることは全く同じでしょう。
山村先生の場合はがんのかわりに結核菌の死骸があって、空洞が生じ、それが気管につながったら単に気管の先端に膨大部が生じたに過ぎない。山村先生は廓清空洞、つまりきれいに結核菌がいなくなった空洞の成立の免疫学的過程メカニズムを明らかにするという大きな仕事をされた方です。その余勢をかって、がんワクチンに挑まれたのでしょう。それは紙一重の違いだったかもしれません。まず最初からがんワクチンということが頭にあったために抑制効果が知られているBCG菌に固執された。それが第一の惜しい点であります。ヒト結核菌でなくBCGにこだわられたということがひとつ、そして大きな大学の大教室ですから、ご本人がサンプルをごらんになるとか、あるいはデータをごらんになるということはあまりなかったのではないか。おそらく研究班の班長さんがいて、それから何人かの班員がおりましていちばん最後はぺーぺーがおる。こういう構造であったのではなかろうかと思います。こうなると、戦前に京都大学がインペジン学説で失敗したことを連想してしまいます。インペジンというのは病原体をインピードつまり阻止する物質で、自然治癒力の一環と考えられたのでしょう。阪大教授から京大教授に移った大外科医鳥潟先生の威信に逆らうものはなかった。当時、先生の喜ばれる顔を見たいと陰性のマウスを末端ではこっそり捨てていたというう噂がありました。大大学の大先生はこういう輩に気をつけねばならない。がんはインペジン陽性だけど肉腫は陰性だという辺りから皆が首をかしげ、いつしか消えていったのです。
私は鳥潟先生の親戚の方に「やったことは全く虚構だったのですか」と問われたことがあります。「インターフェロンの祖先の祖先をみてらしたのかなぁ」と答えましたが、細菌の抽出物を使って病変が炎症性か増殖性かを調べようとされたらしい。丸山先生も関心をお持ちだったそうです。
阪大のドクターに「山村先生のワクチンを使わないの」ときくと「あんな副作用の強いもの使えるかよ」という意外な返事でした。発熱を初め、いろいろあるのだといいました。いろいろな意味で惜しいことです。追求してられたものは、ほぼ同じとまではいえないけれど、出発点は似ています。そして、結核の免疫学という、コッホが挫折して以来、腰が引けていた学会に挑戦して成果をあげられたのですから、丸山先生の仕事をよく考えられたら、お、なるほどと思われたかもしれません。しかし、こういう仕事は小さい研究室から出てきます。ペニシリンを発見したフレミングは階段の突き当たりの廊下でやっていました。
2.丸山ワクチンが成功した理由を考える
まず私がお会いしたときに、「いや、最初からがんのワクチンなどという大それたことを考えたわけではない」とおっしゃいました。皮膚科医になってすぐ丸山先生が取り組まれたのは淋菌で、梅毒スピロヘータに対するワッセルマン反応の淋菌版を作ろうとされた。それからハンセン氏病に進まれ、その治療に有効なワクチンを作られる。ただ、ライ菌は今日でも純粋培養ができていませんから、ワクチン用のライ菌は仕方なく患者の結節からとっていたのですが、同じ抗酸菌の結核菌を使ってもうまくゆくことを発見されたのです。ここで丸山ワクチンが成立します。丸山先生のワクチンは結核にも効きました。特にご専門の皮膚科では当時の大問題は皮膚結核です。皮膚結核は大変な醜形を残します。耳がつぶれ、顔にもいろんな痕が残る、「これを何とかしたいということが僕の課題だったんだよ」と、仰言いました。丸山先生の伝記には最初からがんを目指したように書かれていますけれども、大体伝記というのはそういうふうになるものであって、最初から目指したら成功したかどうかわからないと私は思います。これは大きな岸壁であって、どこからとりかかったらいいか、気が遠くなるではありませんか。いきおい、結果がこうあってほしいということが先走ると、しばしばあとで取り消さなければならないような研究になってしまうのは、何もがんワクチンに限ったことではありません。
BCG菌は無毒な結核菌で成果がもう出てるじゃないかといいますが、丸山先生の熱水抽出法でもどうも取れないたん白があるらしいのです。これがひょっとしたら発熱などの副作用の原因かもしれません。丸山先生が皮膚結核を治療しようという目的でお使いになったのはヒト型結核菌であるのはこれは当然ですね、結核菌が作ったものを何とかしようというのですから。そして病原菌が万が一にも残っていたら大変な問題になると、徹底的に熱水抽出をなさったのでしょう。素人じゃないと考えつかない方法だといわれたと先生は私に話されました。
そして皮膚科医は内科医に対して圧倒的な利点があります。肺がんの場合、週に一遍レントゲンをとることは許されないでしょう。多分積算線量が上限をすぐ超えてしまうでしょう。では胃カメラを週に一遍やらせてくださいというと、「はい、喜んで」という方は非常に少ないだろう、特に病人にそういうことは実際できないだろうと思います。皮膚がんというのはヒポクラテスの昔から気が済むまで眺めていることができます。それもルーペで眺めていれば、がんの塊りが足を伸ばしたりひっこめたりするのが見えるかもしれない。
そういうがんの塊そのものの研究というのは分子生物学到来とともに忘れられていますけれども、九州大学の病理学者の今井先生だったと思いますが、患者さんの中からがんを丸ごと掘り出してどういうふうに広がっていくかということを研究なさった。これは非常に貴重な研究だと思います。がん細胞塊まるごとを眺めて、広がり方に四種ですか、区別してられるが、惜しいかな、後継者がいない。皮膚癌ではそういう広がり方もトータルに見えるし、細胞を採って顕微鏡で見ることもできます。神戸大学の皮膚科の先生も、現在何とかスコピーと称して開発されると鳴り物入りで騒いでいるけれども、皮膚科学の場合は2千年前から直視下で見てるんだよと、講義で必ずいわれます。これがやはり成功の大きな原因だったと思います。内科には、皮膚がんの患者はそもそも来ませんわね。
さらに想像するに教室が大きくなくて、ことに1944年という敗戦間際のときに重要な第一歩がなされたとしたらご本人がおやりになったのであろう、丸山先生のご性格を憶測しますのに少なくともご自分の目で見ないと納得しない方であったのだろう。そしてこれはますます憶測ですけれども、日本には篤農家というのがありまして、日本は稲の品種改良では江戸時代に300種、重複しているのもあるそうですが、つくりだしている。そういう国柄でありますからおそらく丸山先生はコルベンを出して、ああー、これは見事な結核菌である、これを使おうとか、いやこれはワクチンには向かないよとか直感的にお決めになった。品種改良家だったということも私はあるのではないかと思います。
3.私の丸山ワクチンによる治療経験 - ホクロの第三度火傷の治療 -
そして、まず先生はケロイドや火傷でお使いになったのではないか。それが第一段階では目的だったとたしか仰言ってました。私の経験にも、レジュメに書いておきましたようにほくろのがんかと思ったけれどもよく聞いてみると、ほくろを取るためにおせっかいな方が灸(やいと)を据えたと、これは内科医からの「うつ病」との紹介でしたが、うつ病よりも何よりももうこれは悪性黒色腫というほくろのがんそっくりなのですね。これは非常に悪性であるから、ひょっとしたら当時学会賞に輝いた中性子治療のために原子炉の中に入らなければならないかもしれない、せめて3日間だけSSMを使うチャンスをあげたいと。
実は、丸山ワクチンは神戸大学ではすすめはしないけど希望者にはオーケーというのが大体の傾向ですから、病棟に使い残しが転がっていますのでそれを渡して紹介した内科の先生に打っていただいたのです。そして1週間後に僕は写真機とか病理標本採集とか道具を持って患者さんを迎えた。ところが、何と閉じてしまっている。炎症と増殖は紙一重だなぁとつくづく思った次第です。これはウィルス学では常識、病理学の一部でも常識、しかし臨床ではそうじゃないのです。でも放置したら増殖に転じるかもしれません。フチは黒いし、中身はミンチ肉みたいでした。つまり、丸山先生は皮膚科の先生ですから、まずこういう場合に出会われたのにちがいない。火傷とかあるいはケロイドとかの速やかな回復で士気が高まったと思います。こういう成功は実に研究者を鼓舞してくれるものです。そして、そういうものでテストしては菌の品種を選んでゆかれた、と想像します。丸山先生の退職記念誌には1700株の結核菌から選んだとありました。さもありなんと私は納得しました。毎晩10時まで研究室におられたとか。
とにかくこの一件は私の弟子たちが見ている目の前で起こったことです。少なくともほかの皮膚科的な方法では修復できないような第三度の火傷が1週間で閉じ、結局病理学が教えるとおり10カ月後には細い白い糸になり、この人はうつ病で来られたのですけれども、実際はうつ病の治療をせずに終わりました。
お手元のレジュメにいろいろその後の経験を書いておりますけれども、精神科医は随分がんから遠いように思われるかもしれませんけれども、それだけ、がん学会からも自由でございます。私が何を書きましても自分の信用だけを賭ければいいのです。ただ、私は成功例の経験をここで羅列しようとは思いません。眉に唾をつけたくなるような成功例の広告を新聞紙上で目にするからです。ただ一つ兵庫県では放射光によるガン治療が行われています。これを受けたクラスメートに会いましたが、組織破壊がかなりのものである。ところが1年後の次のクラス会で再会したらきれいに治っていて、丸山ワクチンをすすめたお礼をいわれました。こういう組み合わせもありうると気づきました。唾液腺のがんです。
4.あるすい臓がん患者
ただ、ごく最近、5月26日にお葬式があったばかりのケースで、成功例とは言えませんけれども、いわゆる集学的な治療の一部にSSMが加わり、そのケースは遺族の方も話してくれとおっしゃるので、まずそのお話をして、時間が余れば皆さんのご質問に答えたいと思います。
その方は68歳の元銀行員でありまして、私の家内が入っております介護付き老人ホームにお見舞いに来られた。私はそれを聞いてお礼の電話をしましたら、実はうちの主人がすい臓尾部のがんと3月16日に診断されたと、私がそれを聞いたのは多分4月の頭だと思いますが、すい臓がんは、私の信頼している英国の病理学のテキストによれば地上最強のがんである、頭部のほうにあるのはまだいいと、尾部にあるのは非常にまずい。膵臓は大部分の細胞が消化酵素をつくっています。インシュリンをつくっているのはちょっと別の細胞でありまして、すい臓の中に散在しています。すい臓は沈黙の臓器といわれております。つまり症状を出さない、1920年ごろのドイツの内科書にはすい臓がんを診断するコツは何であるか、最も重要なカギはすい臓というものが存在していることを忘れないことであると。東洋医学はすい臓を遂に発見できておりません。西洋医学でも脂肪の塊と長らく考えられていたのです。いきなりピンポン大の肝臓転移が写るものでも8つ、超音波で見たら米粒のように広がっています。これはいわば貸借表で言ったら借り方ですね、これが巨額です。ではこちら側には何を置くべきか、この人は例外的に食欲がある、睡眠もある、そして後に遺言状が朗読されたときにわかったのですけれども、非常にいさぎよい覚悟の人でした。そして夫婦仲がよい。家庭の雰囲気がよく、夫人の料理がおいしい、これが貸方です。
5.大量の腹水・胸水に漢方と丸山ワクチン
しかし腹水が少なくとも7リットルたまっている、血液が3リットルぐらいですから血液の倍は入っているわけです。苦しみの第一はこれです。これをどうやって抜くか、これが一番の問題です。
私はとりあえず手持ちの 猪苓湯(ちょれいとう)を差し上げて、北里大学の東洋医学研究所に指導をお願いしました。そうすると、足のむくみと腹水とは処方が違うと、猪苓湯は足のむくみはとるけれども、おなかの水をとるためには柴苓湯(さいれいとう)のほうがよろしいと、そして肝障害があるならば茵陳柴苓湯(いんちんさいれいとう)を使いなさいと、これはこの場に来ていらっしゃる方のご指導なんですけれども、そのようにしました。なぜなら余りに苦しいというので腹水を1リットルぐらい抜いたのですけれども、たちまちというぐらいの間に腹水は元へ戻ってしまいました。これは生体のホメオスタシス(恒常性)というバランスをとろうとする動きでしょう。従来ならばこうやってあとは水を抜いて、水を抜いて、水を抜いて、水を抜いてどこかで十字架に到達すると、そういうことになるといっても極言ではないと思います。
けれども通院を続けまして2回診察に行ったところで、私は二度目はついていったのですが、はっきり言ってドクターはさじを投げています。だからいよいよとなったら入院させるのがせいいっぱいの好意なのですね。もちろん、医者はさじを投げることも当然あるわけですけれども、これはやっぱり誰よりも最後に投げるものですと私は思うと患者さんに言いました。私はまださじを投げないと、努力すると。まず奥さんに丸山ワクチンの紹介状を書いて、行っていただきました。そうしましたら最初はA、ブランク、Bという形でしたが、最後はAを毎日というご指導をいただきました。さらに利尿剤のラシックス、それから実はあとの担当医の方が元気になるというのでステロイドを出されたのですけれども、これはステロイドを胸水に薦めておられるドクターもおりますけれども、私はちょっと何とも言えない。リンパ球をこわしますからね。しかしとにかく胸水は減っていきました。そして相変わらず奥さんの手料理を召し上がって、むろん自宅介護です。
6.回復期初期のリスクと「希望」の処方
そして何日目かになると奥さんに座布団を2つ敷いてくれと、そして先生はそこへ横になってくださいと言われるのです。どういうことかというと、学年は随分違うのですが、ともに京大卒業生でありまして、向こうは経済学部でしたが、京都の下町から歩いて経済学部まで通った、その道筋のなつかしさであるとか、あるいはそこで同郷の女性で京都の女子大におられた方とめぐり会って、それが今の奥さんであるとか、そういうお話をなさるようになりました。そのうちに日本の現状とか経済の問題とかのお話になりまして、何か友達扱いされているなという感じを持つようになりました。
当初と比べればこれを回復と見ないのは余りに悲観論であると私は思いました。もっぱら腹水であえいでおられる方がこのゆとりを取り戻されたわけです。誰かに話しておきたかったのかもしれません。私はそもそも自分の仕事としては精神障害からの回復の研究をやってまいりまして、回復はその初期、一番初期が一番危ない、それは経済出身の方でありますから原資、つまり元手を食いつぶしながら今回復しつつあるのであるというふうにお話をしました。そういうときは周りの人もよくなったと言い、本人も喜ばれ、そしてお見舞いが殺到する、これは非常に困った状態で、回復の初期ほどリスクの高いときはないのです。おそらくがんで亡くなられる方もここまでは戻ってられる方が結構いたのではないかと憶測するぐらいであります。
つまり、こういうときは静かに過ごさなければいけない。あとで日記をみて、私も話にのりすぎたと反省しました。小分けすべきだったのです。しかし生涯をふり返っておられる。その話をうかがうのも二度とないチャンスかもしれません。これは正解のない問題ですね。
八ヶ岳の赤岳に登られた経験のある方は手を挙げてくださいますか。赤岳らしきものを頭の中で想像してください。赤岳の最初の下りというのは火山ですからかなり厳しいむき出しの急坂を一気に下りますね、そして、お花畑に出ますが、あのときが実は一番危ないのです。回復というのは山を下りることであって、山に登ることではないのです。だから闘病というのは半面しか表していないと思います。苦しい崖の下りを経験してお花畑へ出て休みますと、そこからは富士山も見えますし、小海線が走っているのも見えます。一気にそこへ飛び下りたくなる。これが回復期初期の誘惑であって、医療者や周囲の方々はぜひこのときの危なさというものを念頭においていただきたいと思います。
スイスのアイガー北壁に登った人にも上昇気流に乗って牛や羊の鈴の音が聞こえてくるそうです。そういうとき一気に飛び下りたいという、あそこに一気に行きたいという誘惑が生じるわけです。私はこの時はペースを特によく守らなくてはいけないと思いまして、むだなエネルギーを省くと同時に、やはり希望を処方するということは薬の処方に優る重要性があります。ただし、口先だけの希望では効き目が少ないです。私はよもやま話に混ぜて控え目の希望を処方しました。
7.自宅介護を支えた神戸の訪問看護システム
と同時に、神戸の場合には往診を中心とする医療を展開しているドクターたちがいます。これは神戸の麻酔科の初代教授が児童麻酔から出発されて、非常に患者さんの心理を重視する方でありまして手術の前日は必ず訪問せよ、特に「私は科学を信じていますからご心配なく」などという方ほど心理的には非常に危ないといわれました。そういう方には「知」「情」「意」の3つをそろえてお話ししなければならない、これが特に重要であると。残念ながら早く亡くなられました。けれども、そのお弟子さんの一人がいわゆる緩和ケアを教職員共済組合の六甲病院というところで始められました。そこには精神科医も参加し、その後、甲南大学の心理の人がボランティアで参加しておりました。そのうち、独立して在宅介護のシステムも始められました。この関本雅子先生に電話をしました。そうしますと「お宅はどこですか、あっ、垂水区ですか、垂水区ならば池垣さんですね、池垣クリニックに行ってください」と、そこでご家族と池垣クリニックに行ったならば、もう既に関本先生からは電話が入っていまして、すぐ会っていただいた。何かあったら必ず私が往診します、ただ、訪問看護ステーションにまず契約をしてくださいと。まずナースが訪問看護ステーションから向かい、そしてその状況に応じて自分が伺いますというシステムでありました。
そして早速もうその日に往診されまして、いろいろデザインをされました。まず、介護保険でベッド、その他のものを入れる、ですから万一のことがありましても自宅でむかえることができる、通院して待合室で延々と待ってということがないわけであります。神戸では何区ならだれというふうに1区に一つあるみたいですね。医学部に入学する女性がふえたのをどう生かすか。その最初の結実の一つがこのネットワークです。私は隣人としてこのネットワークの端っこにいていろんなネットワークにつなげる役になりました。
私はもう76でございますからちょうど適役なんでしょうね、この体制で私は毎日訪問していまして40分というのが大体患者さんの第一の疲労の波がくるときでございますので、40分以内で立ち去ると。ときには一緒にお茶を飲んだりご飯をいただくとそういうことをしていたわけです。窓からは緑の森がすぐ手の届くところのように見えて、ウグイスの鳴き声もしきりに入ってきます。そういうところに在宅療養の体制がととのったわけです。患者さんが電話できちんと話されているのを聴きますと、「実は徳俵を踏むところまでいったと、今はちょっと徳俵を離れたかな」と、平然といってられます。遺言を書いていらしてご葬儀のときに朗読されましたけれども、こういう方がおられるのですね。恐怖とかそういうものを無理に隠していらっしゃるのではなくて、自分は予期しないところでこういうリスクの高い病気に出合ってしまった、そのときが自分の生き方が試されるときだと、非常につらいけれども自分はこれに立ち向かおうと思うというようなことを書いていらっしゃいました。
私はベストの場合には丸山ワクチンがうまくがんを包んでくれて、いたるところにこの包みが転がっている治り方だってあるかもしれないというイメージをお話しして、八ヶ岳を下りていくときはお花畑から離れていく、そして美しが森というけれども深い森ですよね、あの森の中に入っていかなければいけないとも申しました。私も実はここまでよくなられた方は見たことがないので、でも賭けるならば治るほうに賭けましょうというようなお話をしたかと思います。
で、何日たちましたでしょうか、多分1週間はたっていないと思いますけれども、私に夕方の6時に奥様から電話がありまして、急におなかが痛いと苦しんでおられると、私は4軒先の人間ですから、まず私が先に駆けつけて、子どもたちを呼びましょうかと奥さんに聞かれたときは、私はうなずきました。全く人相が変わっていました。やがてナースが、そして池垣ドクターが駆けつけて、ナースがこれは転移している肝臓がんの一つが破裂したラプチュアだと言い、池垣先生はそれを裏書きされた。そこまで診断して池垣先生は臨終までの時間を考えられて夫人に耳打ちしてられました。
お子さんたちが来られたときは、ドクターとナースは退いてご家族の後ろだてのように立ちました。私は「耳は最後まで聞こえているので、返事がなくてもちゃんと聞いておられますよ」と申しました。ご家族は思いのたけを1時間半にわたってお話されました。本当に皆さん、お父さんの子どもでよかった、あなたといっしょにやってきたのはすばらしかった、でももうけんかできないのは残念ね、とかお孫さんまで思いのたけをお話になって、患者さんはときどき寝ている角度を変えてほしいという合図をしながら子どもさんたちと奥さんの精いっぱいの話を聞いておられました。
そしてそれから5分ぐらいで容態が急変して亡くなられたのですけれども、私は医者が臨終に立ち会う姿を何度か見たことがありますけれども、ドクターもナースも泣いているのは初めて見ました。私も多少その気になりましたが、それはともかく、「至りませんで」というようなことをナースとドクターが言われて、最後に吐血されたそのあとなどをきちんと始末し、シーツを替えて、服を替えて、それから立ち去っていきました。これは敗北の記録ですけれども、「医学は敗北の技術だ」と日野原先生もいっておられます。いかに遠まわりしてQOLをできるだけたもちながら敗けるかという技術だ、と解したいと思います。死に神からもぎとった十数日間はご家族にとっては欠かせない値打ちがあったのではないかと「敗軍の兵卒」はひそかに自分を慰めています。私は回復の途中に残念ながらがんの転移巣の一つが破裂して亡くなられたのだということを、お葬式の席でお坊さんのあとに何か言ってくれということでご報告申し上げたのは、弔問の方々にやはりこのシステムを知っていただければ、何か役立つかもしれないというご遺族の意向を含んでであります。
8.丸山ワクチンの働きを評価する難しさ
ここで丸山ワクチンがどういう働きをしたのかという疑問があるかもしれませんけれども、これ無しではおそらく初期の段階でうまくいかなかったのではないかと思います。ただ、全体を下支えするものというのは評価しにくい。例えば純粋に丸山ワクチンを使って、がんを治療するというようなことは私自身は今そうしていますけれども、必ずしもそうでなくてもいい。治療は戦略、戦術、技術の三段階から成ると思います。大局観に立って、延命だけじゃなくてQOLも加味して、日数でなく積分値としての延命でなければならない。さいわい、治験報告書にはQOLの欄があるのだから、あれを使わない手はないと思います。生活レベルの欄ですね。そもそも丸山ワクチンの機能というのは一つであるかどうか、私はいくつかに及んでいるのではないかと思っております。
丸山先生と最初にお会いしたとき、東大の病理がつくった標本を見せていただきました。それは線維芽細胞が線維細胞になっていわば兵糧攻めにしていくという考えでありました。その後、白血球の一種の好中球というわりと原始的な、早くいえば異物を食べちゃう白血球が真っ先に丸山ワクチンの注射で増大するというデータもございまして、最近では皮下にある樹状細胞という抗原提示をリンパ球系にするけれども、それ自身はメモリーを残さない免疫細胞に注目している人がいるようです。これは丸山先生が1日置きに絶対必要というのとぴったり一致し、これは天才的直感としかいいようがありません。しかし、今の免疫学はすべてリンパ球系全盛でありますけれども、たしかにリンパ球が数限りない種類の抗原に対して、抗体をつくっていくなぞが解けたのは大したものですけれども、免疫研究がリンパ球にやや偏っているのではないかと素人の私は考えます。論文がつくりやすいからではなかろうかというのは邪推だと思いますけれども、動物の免疫学を見ておりますと、リンパ球というのは脊椎動物でも硬骨魚から始まるそうです。タイにはあるけれども、エイやサメにはもうないのですね。つまり新しいシステムです。だから精緻だけれども何かガラス細工みたいな感じがする。特に活動ホルモン(副腎皮質ホルモン)でこわれるのが気になる。サンゴは一種類の万能細胞というので万事賄っている、どちらがいいかというとこれは人間がサンゴみたいにならないとなかなか決められないと思うのですけれども、固定観念から解放されるためには、人間にも無脊椎動物の原始的システムが働いているのではないか、さらに、小腸のような、免疫系によらないキャンセリング・メカニズムはどうかというところまで光を当てる必要があるのではないでしょうか。また、ストレスというのは、私の考えでは、中枢神経系とその手下の内分泌系による余りの専制政治が生体のホメオスタシスを乱しているという面が大きいです。認知症の患者さんに肥満者はいない、適正体重を維持し、カゼを引かない。また、認知症になるとリューマチはしばしば事実上治ります。免疫系自体が深い孔に落ち込んで行くようなリューマチが、です。また統合失調症もリューマチになると軽症化し、事実上治ります。あるいは、免疫に限らないかもしれません。丸山ワクチンは細胞膜の物質のようです。正常細胞は他の正常細胞と接触すると停止します。接触停止(コンタクト・インヒビション)という現象です。がん細胞にはこの能力はありません。したがって、組織培養は、単一細胞がビンあるいはシャーレの底に一層の細胞が2次元に広がるのです。単一細胞膜(モノレイヤー)です。がん細胞は栄養さえ十分ならば3次元に盛り上がりさえするのです。接触停止能力を失っているのをがん細胞と定義してもよいと思います。正常細胞はうすい裾をまわりに広げています。これがきっと接触停止に関係しているのでしょう。いきなり細胞体と細胞体とがぶつかって停止するのではありません。
組織培養に元気がなくなった時、他の元気な培養の培養液を入れてやると回復します。何か活性を取り戻す成分があるのですね。しかし、これはビンからビンへと植えつぐ「継代細胞株」でよく起こる現象です。ヒト継代細胞株の染色体はふつうのヒトの46でなく、大体87本です。もっとも、古い教科書にはヒトでも各臓器細胞の染色体数は46より多くなっているとあります。生体がムダしないとしたら、重複性(リダンダンシー)をふやさなければ生きてゆけない何かがあるのかもしれません。あるいはがん細胞が、染色体をふやすことによって、がんに好適なミクロな環境をつくり出すのかもしれません。このミクロ環境にSSMは拮抗しているかもしれません。しかし、このミクロ環境はまだ、そうらしいというくらいの段階です。
マニュアル中心の現在の医学の大きな欠点は、考えることが2の次になること、ひいては病気のイメージをもてなくなることです。現在丸山ワクチンに対する偏見はずいぶんなくなっていますが、そのかわりに知らない、無知といっていいかと思いますけれども、それが多くなっています。
ただ、余り万能というふうに考えると却って信用をなくすかもしれません。丸山先生の図式のこの線維芽細胞はたしかに線維をつくって、そしていわば兵糧攻めにもしますけれども、兵糧を送る役割もしているかもしれない、つまりがん細胞の集まりというのはその栄養は毛細管だけに依存しています、それ以上の大きな動静脈というのは入っていかない、その毛細血管はどこからくるかというと、やはり線維芽細胞が変化したものであるという論文が私の目にも触れました。
話はそれるようですが、その点では『ミクロスコピア』という新潟大学の解剖の教授でありました藤田恒夫先生が主催して挿絵まで描かれていますが、これが去年の暮れに廃刊になりました。これが惜しいのは最近の論文はみんな英語で書きますけれども、日本人の書く英語は残念ながら当たり前の話ですが、コクがありません。ついつい読むのがあとになります。日本語で日本人の仕事の紹介をしてくれていたこの30年続いた雑誌が廃刊になったことは、私は愛読者として非常に悲しいです。今まだバックナンバーが少し買えるそうです。
ここに水がございますけれども、これで水を飲んで終りにしますが、(笑)実は脳は体の他の部分より1度低いのだそうです。これもこの雑誌が出なかったら知ることはなかったでありましょうが、講演のときに熱い紅茶が出てきたら飲む気いたしません、冬でも冷たい水です。これは口蓋といって口の上蓋の部分から脳を冷やしているのであろうと、これは推量ですけれども、とにかく脳は他の部分より1度低い、ただしこれはネズミでは証明できるけれども、人間の頭に突っ込める体温計というのはまだできておらないので、そういう意味では証明できていないと、しかし頭を冷やすときに冷たい水というのは単に例えではないということで、私もちょっと熱した頭を冷やして講演を終わりたいと思いますけれどもいかがでございましょう。(なお、後日談ですが、藤田先生は「異端」的な考えを進んで取り上げる方針だったのに、SSMを取り上げなかったことを残念がった手紙を会に送ってこられたそうです。)
どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)