第14回講演会
プログラム3
『変わるがん治療の選択肢』
NPO「丸山ワクチンとがんを考える会」
副理事長 丸山 茂雄
1.はじめに
丸山でございます。
先程江上先生が、今のがん治療の大きな流れについてお話され、その次に、高橋先生が最近の免疫療法について立派な講演をなさいまして、その後は私の漫談ということですので、格調は思いきり下がりますが、お許し願いたいと思います。
ここにお集まりの皆さんは、専門家はごく少数で、大部分の方は、多分私と同じようにがんの患者さん、ないしは家族の方、あるいは友人ががんだから俺が代わりに行ってきてやるよ、と言ったような方々だと思います。
私は、丸山ワクチンを開発しました丸山千里の長男でございます。
医者になりそこないまして、音楽の仕事であるとか、プレイステーションというゲーム等の開発をやるといった、一般的に言うと、できの悪い息子と昔から……自分で笑っちゃいけません。
言われて現在まで来たんであります。
親父のつくったワクチンにお世話になるとは全く思ってなかったんですが、がんを8年前に発症いたしました。
多くのここにいらっしゃる皆さんと同じ経験を共有しているという立場で、今からお話ししようと思っております。
えー、きちっとした喋り方をすると、よく言う「かんじゃう」んですよね。
それですから、もうちょっと乱暴な話し方をさせていただきます。
2.2007年秋、がん発症
実は、私ががんになりましたのは、2007年秋でした。
それまで、おおよそ健康には自信を持っておりまして、ほとんど、病院に行ったことはない、かぜをひいたこともないという、まことに健康優良児でありました。
それが、食事をするときにやや違和感があって、検査をしたほうがいいかもしれないと思い、病院に検査の予約を入れてわずか数日後に、友人と食事をしているとき、突然肉のかたまりがのどにつかえました。
それが下に落ちていかなくて、引っかかった。
イタメシだったんですが、食べ始めたばっかりのときだったので、あわててそれをシャンパンで飲みくだそうとしたら、そのシャンパンも入らない。
シャンパンは御存じのように、泡が出る。
カニじゃあるまいしという感じなんですが、泡がじゃばじゃば出まして、それでやむを得ずちょっと失礼と言って、トイレに行き、シャンパンを処分し知らん顔をして席に戻ったんですが、私、そのときに初めて知ったんですが、唾液もどんどん分泌するので、やはり下に落ちていかないと口の中にたまる。
何分かおきに席を外して、トイレで処理しないと、口の中に唾液がたまってだらだら垂れるわけです。
それで、友人たちもトイレに行く回数の多さに仰天しまして、「おまえおかしくないか」、「いや大丈夫」とは言いましたものの、やっぱり回数が多いので困ったなと思っていたら、とりあえず30分ぐらいたったところで、肉のかたまりが下におちて、その後にシャンパンもすっと下に落ちていったんで、その日の会食は滞りなく、随分面倒くさいことがあったんですが、一応、終わったんです。
ではありますが、私、食物とか水がのどを通らないというのは、ただごとじゃないよなと、多分これはがんだろうと思ったんです。
医者でもないけれども、それ以外考えられない。
咽喉がんとか、首から上のほうの話だろうと自分で勝手に診断して、翌日、病院に予約を入れて診てもらったんですが、「いや丸山さん、こっちじゃないな。
もうちょっと下だな。
食道じゃない」って、言われまして、今の病院面倒くさいったらありゃしないんですが、今度は、食道のほうとなると消化器です。
消化器にまた紹介し直してもらうと1週間後だというわけです。
むっとしまして、でも、家に帰って一旦は食べたものも通り、お酒ものどを通ったんですが、その後、1日たったらまた再び食物はとれない、水が飲めないという状況になっちゃいました。
水が摂れないとなると、簡単に言えばひからびちゃうわけで、これはまずいなと。
それで内科の若い甥に「どうする?」と言ったら、「それは大変だから、点滴で水分補給しなきゃ」。
水分を補給してもらいました。
でも、このままじゃどうにもならないから入院しなきゃしょうがないという話になり、検査の予約に1週間かかるのに、すぐ入院するということが簡単かというと、なかなか難しそうです。
あちこち探してもらいました。
結局静岡のがんセンターがあいているということになって、それこそボストンバッグに寝間着を入れて、静岡のがんセンターに直行したわけです。
3.治療方針が決まる前に、密かに始めた丸山ワクチン
そこから検査が始まりました。
もう立派な食道がんですよという話になり、簡単に言いますと、右の頸部のリンパ節、それから胃の横のリンパ節にも転位していて、もう手術は無理。
いや本当に4日ぐらい前まで私、大元気で、もう何の問題もなく、飛び跳ねて仕事をしまくっていたのに、4日後には、もう何だか手術も無理という患者になっていたんですよね。
それで、「じゃどうしたらいいんですか」と言ったら、「もう手術はだめだから、放射線と抗がん剤の治療」「ああそうですか、わかりました。
で、手術は何でだめなんですか」と言ったらば、「腹部の横にまで転位しているということは、がんが体中あちこちに行っちゃっているわけで、今現在は、腹部の横のリンパでとまっているけれども、まあ体中のあちこちから発症する可能性が高いから、一番大きい食道のがんを切り取っても意味がない。
そんなことよりも、食道はそのままにしておいて、あとは放射線と抗がん剤で、簡単に言えば、体力をなるべくなくさないようにして、ゆるゆると最後のときを迎えるのがいいでしょう。
」4日前ですよ、私元気だったのは。
そういうことを言われて私も一応仰天しましたが、この年になって、そんなところでうろたえてはいかんということになって、ぐっとそこんところで冷静になろうという気分になりました。
その後若干の日にちはたって、「治療としては、シスプラチンと5-FUという抗がん剤、それから1回2グレーの放射線を30回当てるということで行きましょう。
よろしいですか。
」という話になりました。
「食道と頸部に放射線を当てるのはオーケーだけれども、腹部の横はほっといてくれ」って言ったんです。
お医者さんは、もうそう先は長くないという言い方、雰囲気ですよね。
言わないですよ、お医者さんは。
そうは言わないけれども、顔を見ればわかるわけです、大体。
だけれども、私の気分とすると、突然飯が食えなくなった、肉が引っかかっちゃってその日肉を食ってないんです。
死ぬ前に肉を1回がしがし食べて、その上であの世に行きたいなと、一応はそういう気分があったんです。
何となくイメージとして、腹部に放射線を当てると、柔らかい胃のあたりがぐちぐち……。
きのう、オバマさんが広島の原爆資料館に行かれて、写真をたくさんごらんになったと思うんですが、それと私と同じふうに言うと不謹慎かもしれませんけれども、せっかく食道が肉を通したのに、胃のほうがケロイドでぐちぐちして、結局、「丸山さん、残念だけれども、肉は食べないほうがいいよ」と言われたらどうしよう。
まことに幼稚な考え方ではありますが、「胃のほうはほっといてくれ」というふうに頼みました。
多分、これは標準治療に反することですよね。
ものすごく何度も「えっ!やらない。
そういう患者さん今までいません。
」と言われたんですけれども、「いや私は結構です。
私、もうここんところだけ、とりあえず1回肉が食えるようにしてもらえればそれでいいんで」言い張りまして、それで、私の家族を呼び集めて、「俺はこういうつもりなんで、おまえらも一応わかっておいてほしい。
」まあ、偉そうに、そう言いました。
ということで、治療方針が決まったわけです。
でも、レストランで飯が、シャンパンがのどに通らない、肉が引っかかったという日、これはがんだろうと思いましたので、大変皆さんに申しわけないんですけれども、私の家には患者でもないのに、丸山ワクチンが何となく転がっているんです。
なもんですから、それを取り出して打ち始めました。
それ以来1日置きにずっと打っているんです。
これは、静岡のがんセンターにも言ってないんで、ここだけの話。
と言っても、ここには200名ほどはいらっしゃるのに、言いにくいんですけれども、それ以来ずっと打ち続けているんです。
病院は、そんなことはつゆ知らず、という状況です。
4.最初の放射線化学療法で食道がん消滅、次第に出てきた副作用
けれども、一方では、放射線と抗がん剤の治療を始めるにあたっては、いろいろな検査をしなきゃいけないということがあります。
私、とりあえずは順調にサラリーマン生活を終えて退職しまして、その後、自分で会社を興しました。
その会社がうまくいっていればいいんですけれども、余りうまくいってなくて、七転八倒していたんです。
何人も社員を雇っていましたから、この連中を何とかしなきゃいけない、会社も何とかうまく閉じなきゃいけないというミッションもありますから、そこんところだけ大変気がかりだったということがあって、「先生、私どれぐらいもちますかね」聞いたんですが、言わないですよね。
しょうがないから、「来年の夏ぐらいまで?」と言ったら、もうとんでもないという顔をするんです。
お医者さんって、もうちょっと……。
僕の主治医の先生は割と顔に出ちゃうタイプの、いい先生なんですよ、本当に。
しょうがないから、「じゃ5月?」と聞いたら、5月も「……」、「4月?」っていったら、「う~ん」、「3月?」、大体、その辺という顔色になっていくんです。
治療方針が決まったのは、12月の初めですから、もう3か月ちょっとしかないわけです。
結構あせりましたが、しょうがない。
3カ月なら、それに応じた生活をしなきゃいけないというふうに思ったんです。
ところが、放射線を当てるための検査というのに結構のんびり時間をかけているんです。
おかしいな。
後からいろいろ聞いてみたら、私、若干心臓に問題があったらしいんですけれども、がんセンターのようなところは、がんで死ぬのはいいけれども、心臓みたいなので死なれちゃ嫌なもんなんですかね、先生どうです。
やっぱり、そういうことなんですかね。
だから、手術とか、抗がん剤や放射線をやっているときに、がんでない他の病気の治療は、がんセンターではやってくれないんですかね。
どこかの病院に救急車で行くのかな。
随分細かくチェックされまして、心臓のステントを入れる手術というのを先にやらなきゃいけないという話になった。
それは、そんなに難しい手術じゃない。
でも、これがまた不思議なんですけれども、ステントを入れる先生が来てくれて、私、手術室まで移動する台に乗って、家内に「行くぞ」と言った後、手術室に入った。
そうしたら、「あ、やめましょう」ということになって回れ右して戻ったもんで、家内もびっくりしていましたよね。
そんなことがありつつ、12月の終わりごろに、放射線と抗がん剤が始まったんです。
だから、「来年の4月ぐらいで終わりなのに、検査で1カ月も空費しやがって」という気分はあるんですけれども、内緒で、私丸山ワクチンをやっていましたからね。
その間自分で治療をしているわけですから、「まあいいか、俺は大丈夫だ。」というのがあり、正月を挟んで、1月いっぱい、2月前半にかけて、放射線を当て、抗がん剤も打ち、さらにシークレットで丸山ワクチンも打ち、無事にオフィシャルな治療は終わったわけです。
「もうやることがないから帰れ」と言われて、帰ったら2月の初旬ですから、下手すると3月の終わりですよ、余命は。
家に帰って、あわてて家内に見られたらまずいものを破って捨てるとか、そういう作業が必要ですよね。
それを一生懸命やっているうちに、病院から、それまでの結果がどの程度になっているか見よう、ということで行ったんです。
そうしたら、食道のがんは消えているんです。
「ほおっ」と思って、ただ、最近の抗がん剤は、今度のオプジーボにしても、その前のイレッサにしても、急にばあっと消えて、その後3カ月するとまたリバウンドでばんと出ちゃうみたいな、そういうことがあるから、そんなもんで有頂天な顔をすると、お医者さんになめられちゃう。
というのがありまして、私も、ああ消えたのかという、余りうれしそうな顔をしないようにして、その部分は終わった。
ただ頸部のリンパ節と、腹部のリンパ節が小さくはなっているけれども、厳然として残っている、そういう状況で、腹部のほうは、先ほど言いましたように、放射線を当ててないので、小さくなっているというのは、抗がん剤だけということになりますよね、理屈として。
でも、言えないけれども、丸山ワクチンも効いているんじゃないかなと思っていたわけです。
当然のことながら、先生は、「放射線と抗がん剤の組み合わせがうまくいっているんだから、丸山さん、この抗がん剤の組み合わせは丸山さんには向いている」自信満々でそうおっしゃっていて、それも違うと言えないですよね、私は。
「そうですね」というふうに言って、そこから先、また抗がん剤の治療を一応受けたんです。
そうしたら、最初のころ副作用がなかったんですけれども、やっぱり抗がん剤というのは蓄積するんですかね、体に。
だんだん嫌な感じになってくるわけですよ。
それで、ついに、トータル5回目だったかな、「もう勘弁してくれ、俺はそれから先はもうやりたくない」と、断ったんです。
基本的に、がんの治療って、僕はほかの治療をやったことないからわからないですけれども、やたら同意書というのにサインさせられるじゃないですか。
CT撮ると言っても同意書、内視鏡と言っても同意書、抗がん剤を使ってもいいですよという同意書で、うーん、どうなんですか? あれは全部患者に責任を押しつけようということでしょう。
悪い結果が出たとしても、あんたが同意したんだから私どもは知りませんよという、アラカルトの料理を選ぶのと基本的に同じでしょ。
気取ったレストランで言うじゃないですか、「何たらのソースで、どうやらこうやらする」「じゃ、それ」と言ったら、味が悪くても文句は言えない。
全部、説明したんだから、選んだあんたの責任というんだったら、責任があるということは、わがまま言っていいんだというふうに僕は解釈しましたね。
それで、よし、もうこれからはわがままになってやれということになって、それまで抗がん剤はそこそこ結果がよかったんで、それはオーケーだけれども、もうそろそろやりたくない。
自分でも丸山ワクチンをやっているから、丸山ワクチン1本で行っちゃえというのがありまして、それで断わりました。
すごく人柄のいい先生だったんだけれども、ちょっとむっとしていましたね。
その後、検査に行くたびに、「いいですよ、リンパ節のほうも、今回も少しずつ小さくなっていますね」というのがあって、まことに順調に行っていました。
5.物理学者戸塚洋二の闘病記に感動
今でも覚えているのですが、7月10日。
私が、発病したのが11月で、治療に入ったのが12月25日、なんでクリスマスの日に治療が始まるんだって、むっとしていたんですけれども、それから半年近くたって、7月10日というのは「文芸春秋」発売日なんです。
皆さん、おわかりだと思うんですけれども、がんになると途端に、あらゆる印刷物で「がん」と書いてあるともうほかの言葉が見えなくなる。
私、今、結構油断していますから、もう余り「がん」という言葉が目にとまらないですが、最初の1ラウンドぐらいは、「がん」と書いてあるともうすぐ目が行く。
そのときにも、「がん」というのが出てきた。
それが戸塚洋二という素粒子の物理学者と立花隆の対談で、「余命19カ月の記録」という記事だったんです。
それを、静岡の病院に行く新幹線の中で読んでいたら、なかなかいいことをおっしゃっている。
いいことと言っても、患者にとって、そうだよなということですかね。
戸塚さんという物理の先生の言っている一番大きいのは何かと言うと、彼は、科学の研究の仕方というベースを考えている。
それから見ると、医学の余りの大ざっぱさにもうほとんど逆上しているわけです。
物理をやるんだったらば、データの整理というのがすごい大事なんだけれども、戸塚洋二先生の主治医というのは、そこんところが大ざっぱ過ぎて、ほとんど自分の質問に答えてもらえないし、聞きたいことのデータをお持ちでないし、何とか日本全体でがんの研究者が集まって、がんに関するデータを集めて、患者が知りたいことが即座にわかるようなデータベースをつくってくれ、ということをおっしゃったんです。
それはそうだなと思って、すごく感動して読んだんです。
「大変僣越ではございますが、この先生がこういうことをおっしゃっているんで、ぜひお読みになったほうがいい」と言って、がんセンターの先生に本をあげてきちゃって、僣越ですよね。
それで、家に帰りました。
そうしたら、驚いたことに、その日の夕方のニュースで、戸塚先生が亡くなったんです。
だから、「文芸春秋」が出た日に私は対談の記事を読み、結構感動して、盛り上がって家に帰ったらば、この先生の亡くなったニュースを見て、まあやっぱり7月10日というのは自分にとって忘れられない日になっちゃったんです。
その後、3カ月ぐらいたったら、立花隆さんが、その方の本をお出しになった。
それはどういう本かというと、戸塚洋二さんが、死ぬ1年前からもう現場に行けなくなっちゃったんだけれども、周囲の人は気を使って、「先生どうですか」とか言えないわけだから、自分が今どんな状況になっているかというのを皆さんがわかるようにブログをお書きになった。
それをまとめた本なんです。
いや物すごい量で、たった1年なのに、本一冊どころの騒ぎじゃない。
一番肝心の物理のところは抜いてあるんですよ。
そんなもん俺たち読んだってわからないんだから。
一般の人がわかるのは、彼の闘病生活ですね。
だから、彼の最後の1年の治療経過がめちゃくちゃ書いてあるわけです。
そのほかに、先生に対するぼやき、不平、なんていうのも入り、それから、あとは趣味の話とか、教育の話とか、多岐にわたっているんですよ。
僕はもうすっかりファンになっちゃって、でも、戸塚さんのことをそんなに知らない方がいると思うので、一応申し上げますと、日本のそういった研究の大拠点が岐阜県の神岡鉱山の跡というところにあります。
そこに、光を感知する、大きな電球のおばけのような増幅器というものを6,000個とか、7,000個、壁にざっと並べて据え付けて、それで宇宙から飛んでくる素粒子をキャッチする。
何のためにキャッチするかというと、20世紀につくられた物理の基本的な大法則はもう古い、しかし新しい法則の仮説はあるんだけれども、仮説だけじゃどうにもならないので、実験でそれを証明していくというトライが20世紀の終わりの99年ぐらいから始まっていて、この研究所をつくったことによって、小柴さんがノーベル賞をもらった。
その後、戸塚さんが今度は東海村からニュートリノを神岡に飛ばした。
もうここから何のことやらわからないです。
ニュートリノは粒子でもあり、波動なんだということ、あるいは、質量があるのかないのか、というのを実験で証明すると言っても、ニュートリノは、たった1センチ四方のところに、太陽から1秒間に1,000兆個降り注ぐ。
もっと多いかもしれないけれども、つまりたくさん、今現在も降り注いでいる。
それがどういう性格を持っているか。
茨城県の東海村から神岡まで、ニュートリノというのを自分たちでつくって打ち込むんだというんです。
どうやるんだろうと思うようなことをやっている偉い先生であります。
そういう人が、科学とは何なのかという話をし始めて、お医者さんを多分締め上げたと思うんです。
だから、立花さんが非常に気にかけて、「主治医との関係が極めて悪くて、心配している」というふうに対談の中でおっしゃっていましたけれども、そういう戸塚さんが何を気にしているかというと、「こういう患者は大変だけれども、患者の言うことを少しは聞いてよねって思うんだけれども、お医者さんて聞いてくれないですよね。」ということを書いているんですよ。
自分が、いろいろ気に入らないけれどお医者さんに言いくるめられちゃうなといったようなとき、これを読んで、「戸塚さんだってこう言っているんだ、俺だって負けないぞ」って、それで病院に行くんですよ、僕なんかはね。
それで、お医者さんに対抗して屁理屈をうんと言うようには一応しているんですけれども、戸塚さんは、「やっぱりお医者さんはプライドがあるから、素人の意見は絶対に取り上げない」と言っていますね。
僕もそう思います。
6.腹部リンパ節再燃と、下咽頭がん、喉頭がんの治療は自分の希望通りに
私は、その後2年ほどたって、胃の横のリンパ節がやっぱり大きくなっちゃったんです。
それで、お医者さんが、「前回は当てていないから、今回は当てましょうか?」というんで、それは私も賛成して、放射線を当てたんです。
その後、やっぱり「シスプラチンと5-FUやりましょう。」嫌じゃないですか。
僕はもう嫌だ、それで、そこから先、大変ですよ、お医者さんと。
ゼロ回答はやっぱり失礼かなというふうに思いまして、値切ったんです。
「量を減らせ」、お医者さんが「いや、やっぱりこれは規定どおりやったほうがいい。
結果が悪くなっても知りませんよ」と。
そのときは研修医が来ていて、「あの患者うるさいから、おまえちょっと説得してこい。できたら偉い。」みたいな、多分、そういうトレーニングだと思うんです。
研修医は暇なのかな、粘りに粘り、こっちは患者ですから、時間は山ほどある。
もう研修医は、すごいまじめな顔で怒り始めた。
「それじゃ、 一筆書く。絶対先生に迷惑かけない。病院に対してこの後は決してクレームをつけませんから、ぜひ私の希望どおりの量にしてください。」と言い張ったんです。
向こうも大笑いになっちゃって、最後、非常に友好裏に薬の量を半減するというのに成功しました。
半減ですからね。
その後、リンパのがんは消え、現在も消えたまま、半減して大成功。
副作用がすごい少なくて、気分よく現在に至っているわけです。
と言いながら、丸山ワクチンをずっとやっているんだから、ここから先も大丈夫かなと思っているとそうはいかなくて、その後に、下咽頭がんと、喉頭がん、別々に出たんです。
身内だからって余り誇大なことを言うのも、ここにいらっしゃる皆さんに対して失礼かなと思うので、正直に申し上げると、「ああそうか、丸山ワクチンだけじゃ全部を抑えきるというわけにはいかないんだな」とは思いました。
食道がんをやった後、そこから上のほうに出てくるというのは、非常によくあることだそうなんで、検査のたびに、出るんじゃないかという気分で見てくださり、無事に発見して、内視鏡で2回取った。
でも、その後、腹部のリンパの抗がん剤のバトルが先生の記憶に残っているから、もう下咽頭のときと喉頭のときには、「抗がん剤をやりましょう」と先生言い出さないもんね。
それだから、もうセーフだよ。
そのまま、現在に至る。
だから、もうここ約2年ちょっと、私、何の不安もなく、現在に至って、こうやって皆さんの前でお話しすることができているわけであります。
7.いろいろ勉強して、最後に決めるのは患者自身
きょうお話ししているのは何かと言うと、一方に戸塚さんのような方がいる。
戸塚さんの本をチャンスがあったらお読みいただきたいんですけれども、この方は、戦う科学者ですよね。
すごい抗がん剤を先生の指示どおり、どんどん使って、体はぼろぼろになるんだけれども、それにめげないで、どういう治療をやるとどこまで自分がぼろぼろになるかというのを、まるで第三者が観察するような具合で見て、それをブログにお書きになって、記録に残されている。
本当にすばらしい方なんですが。
また一方で、近藤誠さんというお医者さんが本をお書きになっています。
がんの患者だと多分かなり高い率でお読みになっていると思うんですけれども、その近藤先生、すごいたくさん本をお出しになっているんですが、基本的に、終始一貫、同じことをおっしゃっているんで、当然最新版を読むのが一番いいわけです。
それで、最新版は「がん患者よ、近藤誠を疑え」という本なんですが、今週「サンデー毎日」に丸山ワクチンの記事をお書きになっているジャーナリストの森省歩さんと、近藤先生の対談になっています。
「抗がん剤や手術もひっくるめて、そんなもんやったってしょうがないよ。本当のがんというのは何やったって治らないんだから。一方で、本当じゃないがんも本当だっていうふうに決めつけて、それを治したというお医者さんも多過ぎる。」お医者さんがたくさんいらっしゃるからちょっと言いにくいんですけれども、でも、近藤先生はそうおっしゃっていて、で、我々患者は、その間でどうしたもんかなと思ってうろうろしている。
それもあって皆さんもここにお見えになっていると思うんですけれども、近藤先生も「最後は、やっぱり決めるのは自分だよ」ということを言われているわけです。
そのとおり、わかりゃしないですよね。
どれが正しいか現在の時点ではわからないですけれども、いろいろ話を聞いたり、勉強をして、その中で、お決めになったらいかがかなと思います。
8.丸山ワクチンで明るく、免疫力もアップ
じゃ、丸山ワクチンはどうなのかという話になりますよね。
「丸山ワクチンとがんを考える会」ですから、もうご想像のとおり。
最後は、丸山ワクチンがいいよというところに話が落ち着くに決まっている、ということなんですけれども、まあ抗がん剤の厳しい部分を切り抜けたということで、私から言わせると、丸山ワクチンを上手にお使いになると、副作用がないし、QOLを良いレベルで保ち、明るく、楽しくなりますから。
私入院している最中、一番明るい入院患者と言ってほめられたんです。
やっぱり明るいほうが、免疫力が上がると思います。
ぜひ、皆さん、丸山ワクチンをお使いになって、明るくお過ごしになってください。
皆さんの健闘をお祈りします。
ありがとうございました。
(拍手)