第13回講演会
プログラム2
『丸山ワクチンとの40年
治す医療に冷たい医療界を実感』
医療ジャーナリスト
田辺 功氏
1.朝日新聞科学部で主に医療報道を40年
ご紹介ありがとうございます。私、今、医療ジャーナリストと名乗っております。医療関係の広報をやっているココノッツという会社にオフィスを置いてフリーの活動をしております。お医者さんと違って医療ジャーナリストというのは何の資格も要りませんので、名乗るだけ得というようなことなんですが、実は、1968年─昭和43年に入社しまして2008年まで40年、朝日新聞におりました。主に科学部というところで医療関係の中身の取材、報道をしておりました。
今日は尊敬する伊丹先生の前座ということで、とても光栄に思います。
私の話はそんなに難しくはございませんので、気楽に聞いていただきたいと思います。
2.医療報道にも縄張り
今、言いましたように私は朝日新聞におりましたけれども、1990年から東京で18年、大阪で2年の20年、医学・医療担当の編集委員をしておりました。
医療関係だけでも新聞社の仕事はいろいろありまして、外の方は余りご存じないと思いますが、医療制度、厚生労働省の担当は政治部でございます。政治部というのは新聞社で一番威張っているところでございます。そして薬の動きとか事故とか警察とか裁判、これは社会部ということで、テレビドラマに出てくる記者というのは大体において社会部でございます。ですから、薬の中身ではなくて事件になると社会部ということになります。医療内容を担当するのは科学部とか、生活部とか、読売新聞の場合は医療情報部とか名前はいろいろ違いますが、そういう部署がございます。
先ほど私は編集委員だったと申しました。論説委員と編集委員はよく間違われるんですが、論説委員というのは偉いんですね。社を代表する記者で、合議制で社説をつくるんです。国、厚生労働省などは、こういう論説委員は手懐けておかなければいけないということで、しょっちゅう論説委員を集めた説明会というのをやっています。つまり、いろいろな報道の前に各新聞社の社説等に関係するところには意を通じておこうということで、そういうことが行われております。
一方、編集委員というのは勝手なんですね。記者個人でしかありません。ですから社を代表して意見を述べるということはありません。その代わり記事は余り制約がない。書きたいことを書いたらいい、どうせ大したことは書けんのだからといった感じですね。そういうことで立場が違います。私は、その偉くないほうの編集委員でございました。
医療報道、自分は何をすべきか、先ほどのご紹介に患者サイドという言葉がありましたが、やはり患者さんに有益な情報を、わかるように、広く普及するように書くのが自分たちの仕事ではないかと思ってやってまいりました。そして40年いろいろ、うまくいくことは、まあたまにはあります。しかし、どちらかといえばうまくいかないことのほうが多かった、そういうことでございました。
3.1976~1981年の丸山ワクチンの報道
私が丸山ワクチンを担当した記事の最初が、文化面の記事でした。私は初任地が岡山でございました。伊丹先生の岡山です。その経緯もありまして、これは折田先生という岡山大学の教授なんですが、有名な山村雄一先生のお弟子さんです。
ちょうどこの頃、新聞ではほとんど取り上げなかったんですが、世の中では、週刊誌及びいろいろなことで丸山ワクチンが話題になっておりました。それで私の丸山ワクチンとの最初の接触というのは、言ってみれば折田先生の「世の中、丸山ワクチンで騒ぎ過ぎだ、あんなものは効かないんだから新聞社はしっかりやってくれ」という要望でございました。
4年後に、これは76年から80年ですが、「がんとの対決」というシリーズを朝日新聞はやります。メインは社会部で、私ともう一人の科学部員が協力して、中身をチェックしたり、ちょっとしたコメント、解説を加えたりといったことをやっておりました。実は朝日新聞の社会部のデスクががんになったんですね。社会部というのはおもしろいもので、自分たちのボスががんになったら「がんは大変だ」と。今まではがんなんて関心もなかったけれども、がんというのは大変なもんだということで、「がんとの対決」シリーズを始めたわけです。新聞社の取り組みというのは大体そういうふうなものなんですけれども、これは3年間か4年間続きました。上下の本になっております。
もともと朝日新聞はそんなに丸山ワクチンに関心を持っていたわけではないのですが、社会部はそのときに、週刊誌等で書かれている丸山ワクチンに興味を持つわけです。丸山ワクチンは当時、認可申請が行われており、中央薬事審議会が一応データを吟味している段階でございました。まだ結論は出ていないんですが、その途中で、中央薬事審の話をスクープしましたということから、先ほど司会の南木さんが言われたように、朝日新聞はどちらかというと丸山ワクチンに冷たいというか、批判的というスタートになったのは、こうした経緯からなんですね。
このときは解説面ということで、有効率3%というのはどういう意味なのかといったことを書いてくれと言われて、私としては多少プラスの分も含めたかったんですが、今、読み返してみましてもちょっと曖昧に逃げているという感じがいたしますね。これが80年12月27日、暮れも押し迫ったころの記事でございました。
それからちょうど半年たって81年7月に、先ほどの薬事審が「効果がない」ということを出すわけでございます。今、免疫療法云々というのがありましたけれども、その治療の第4の柱と言われる免疫療法、これがなかなかはっきり、効果はもう一つというようなことが言われてまいります。
4.日本の医療は患者の求めに応えているか
話を根本に戻しますが、私はそうした医療の中身にかかわる報道を40年間ずっとやってきましたけれども、日本の保険医療制度は、やはり一言で言うならば厚労省が関心を持っているのは料金だけで、中身はいい加減だということです。内容は、病院や医師、勝手にやればいい、そういう医療だということです。日本の医療の欠陥というのは、治す医療の軽視ということですね。治すということに対しての意欲のなさが日本の医療の最大の欠陥だと思っております。
そういうことを実は新聞で書いたりしたんですね。そうすると、大体煙たがられるんですよね。それで「勝手に書けばいい」と言いながら、勝手に書いても載りにくいというようなことが出てまいります。
これは患者が何を求めるかということで、ペレというフランスの外科医の言葉です。患者は医療に何を求めているか。治ることを求めています。ですから医者は治すように努力しなければいかん。治らない場合はどうするか。少しでも病気が進まないようにということを患者は求めている、だから進行を遅らせるようにしよう。それでもだめな場合はどうするか。痛みをとってあげようということですね。苦痛から開放してほしいと患者は思っている、なるべくその苦痛がないようにしてあげようということですね。そしてその下に、今、映っていませんが実は「癒し」という1行があって、それも医者ができなかったらどうするかというときに、ペレというお医者さんは「患者さんの側にいて、手を握ってあげなさい。そして私があなたと一緒にいるんだと感じさせてあげなさい」というような意味のことを言っております。私は、これはとてもすばらしいことだと思っています。
そういうことを考えたときに、本当に病院は治しているんだろうかということですね。いろいろな病気に薬は大量に使われていますけれども、その薬の多くは今の状態を継続する、つまり1度飲んだらやめられない薬が多いです。リハビリは非常に重要ですが、日本はリハビリについては全く世界から遅れています。リハビリが弱過ぎるんですね。そして、根本的に治すことより同じような状態が続くという治療をやっております。治さないんです。第1に、治すメリットがないんです。次に、治す腕がないんです。そして第3に、治したくないんですね。これが私が医療報道の40年からつくづく、本当にそうなんだなと思うことでございます。
5.治す医療に無関心な医療界
お医者さんは治す治療に無関心です。治す方法があると言い出すお医者さん、例えば伊丹先生が「こうすれば治る」「こうすれば軽減できる」と言ったとして、それではその先生のところへ勉強しに行こう、それを教えてもらおうというお医者さんは非常に稀です。そして、どちらかというと学ばない。無視します。次に、頑張るお医者さんの邪魔をするんですね。これは丸山ワクチンでも全く同様です。丸山先生が「丸山ワクチンで治るのではないか」最初は無視します。誰もそれの中身を調べさせてくれということはありません。そして、そういう先生がいると目障りだと。「これはけしからん、こういうものを放置しておくからだめなんだ」となるわけですね。
私は、治す医療というものをできるだけ紙面で紹介するように考えました。しかし、先ほど言いましたように、勝手に書けばいいという立場でありながらだんだん勝手に書けなくなってくるんですね。先ほど言ったように、国なり学会なり何なりは治したくないんです。はっきり言って。
がん以外の病気で、例えば腰痛ですが、8割は原因不明だと言われています。その腰痛の8割は、骨盤のところにある仙腸関節の、ほんの何ミリしか切れ目がない部分の関節の動きがまずくなって引っかかるために起きているんだということを博田先生という大阪の先生が言われ、AKA博田法という治療法を開発しています。これは現在、全国で、整形外科等で言えば30~40人の先生がやっていますが、何千人の先生は全く知りませんし無視していますね。
これは、膝とか股関節の痛みなんですが、この痛みは実は骨の中の、骨髄の圧が高くなるために起こるんだと言い出した先生がいらっしゃいまして、亡くなられたのですが、ここに穴を開けて、言ってみれば中の圧を逃がしてやるという方法を開発し、実は人工関節になるような状態を簡単に治すことができます。しかし、これも今、本当に2~3カ所でしか行われていません。そして整形外科の多くは「もっと悪くなったら来なさい。人工関節にしてあげます」と言います。
これは糖尿病の糖質制限食です。他の病気もあります。
これは病気腎移植ですけれども、こういうものも、どちらかというといじめですよね。
この「心の病は脳の傷」というのは2008年に私が出した本なんですが、一言で言うと、鬱病や統合失調症や認知障害を治す方法があるということです。認知症は今、世界じゅうで治らないというのが定説なんですね。しかし、松澤先生という東北大学の名誉教授ですが、彼は認知症というのは精神科の病気である統合失調症と鬱病にあわせて、海馬という記憶の箇所の細胞がやられている病気であると。それで、統合失調症薬と鬱病薬を使います。そして食事、運動、こういうことで認知症は治るんだと言っています。しかし、国は治したくないわけですね。あるいは医療界は治したくないわけです。誰も聞きません。
6.40年ぶりの丸山ワクチン
これは昔、我々が一番よかったころは、私がいてデスクがいて、整理部というのがあるんですが、ここの整理部が認めれば記事はすぐ載ったんですね。ところが今は、従軍慰安婦問題とか何かいろいろありますが、何かを載せようと思っても、昔はこうだったのが今はこうなんですね。簡単でないんです。それで結局、「そんなこと言っても反対の意見が強いじゃないか」というと、例えば丸山ワクチンは「いや、治っている患者がいるようですよ。僕、書きたいんですけど」「何を言ってるんだ、そんなこと言ったら学会が怒って、俺たちに文句を言ってきたら困るじゃないか」ということで、書かせないんですね。
そういうようなことで、新聞にはなかなか載らないから本にしようということもありますけれども。
これは伊丹先生のご本です。「絶対あきらめないガン治療」ここで伊丹先生が済陽式の食事とか丸山ワクチンを、治せる方法として紹介されていました。それで私も40年前を思い出して、そうだ、丸山ワクチンが今どうなっているか聞いてみようということで、ここにいらっしゃる飯田先生に取材に行きました。そして「私も使いたい丸山ワクチン」と書いたら、篠原先生が挨拶状で引用してくださいました。それが今日お招きにあずかったことにつながります。これが2012年3月でございます。
丸山ワクチンのデータで、例えば10年超の胃がんについて、他臓器に44%、リンパ節に81%転移があって、しかしそれで10年、ワクチンを使っている人が57人、ワクチンのみの人が6割いるということですね。この57人のうち20年を超えている人が44%いる。これは偶然、自然によくなった人がそれだけいたんだと言えるかどうかというと、私は、やはりそこまで言いにくい。やはり効果は見られるのではないかと思っています。
7.胃の全摘手術を受ける
胃がんの患者会でアルファ・クラブというのがあるんですね。私はそこにいろいろ連載をしています。月に一遍ですから6年とか7年になります。
ここで、実は72回目に「突然ですがお仲間に……」というのを書きました。先ほど丸山さんの挨拶の中にあった言いたいことというのはこのことだったんだと思いますが、実は私は胃を全摘したんです。そのご報告ということです。去年の6月です。先ほどは12年の丸山ワクチンの記事でしたが、14年─昨年の春、健康診断で、無症状でしたが病理診断したら黒だということで、胃の全摘手術になりました。アルファ・クラブの梅田幸雄さんという方が、実際亡くなるまでに14回も手術を受けて、胃の周辺も何遍も切っていらっしゃる。この梅田さんと仲良しだったという経緯で胃がんの患者会に原稿を頼まれて書いていたんですね。そして、実はその「がんですよ」と言われた日に梅田さんの後継者の方とクリニックでばったり会ったんですね。それで何か嫌な予感がしたんですけど、その予感が当たるんですね。
それでこういうふうに、もう一つ下のほうにもあったんですけれども、お医者さんは何とか胃を残しましょうと言うんですね。きっと残りますよと言うんですが、前の日になったら「いや、残りません。胃の全摘手術が必要です」と。私も本当に断ろうかと思ったんですが、やはりなかなか断りにくいので、「はぁ。はぁ」というようなことで受けてしまいました。6月24日に手術いたしました。ルーワイ法という方法です。
8.予想以上に辛い手術の後遺症
これはアルファ・クラブの人たちがいろいろ胃を切った人の後遺症を書いている本ですが。逆流症というのがあります。いや、胃がない苦しみというのは、実に予想より大変でした。私は朝日新聞が主催するがんセミナーの司会をしておりまして、九州でやったときに福岡大学筑紫病院の外科の先生が、ずっと胃がんを、2,000例とか言っていましたか、切ったという先生に出てもらいました。その先生が胃の全摘手術を受けたんです。本人が。それでその先生に話をさせたら、医者のときは「胃なんて食べ物を一時的に蓄える単なる袋なんだ。あんなものはなくても平気。さあ、がんの憂いをなくすには切るのが一番」と言ってどんどん切ってきた。自分が切られたら「いやぁ、こんな大変なことだと思わなかった」と言うんですね。まさにそうなんですね。
1つは、やはり食欲がわかないですね。1年近くなりますけれども今でもわかないです。「おいしそうだから食べたい」というのはほんの稀ですね。そして、喉につかえる感じ。そして、ダンピング症候群というのは食後に冷や汗が出たりどきどきしたりといったこと。これはそんなにひどくはなかったんですが、やはり先ほどの逆流症の症状で喉の痛みがひどいですね。今でもやや痛いことがしばしばあるんですね。体重は大体12キロ減りました。
本当は、そういう後遺症は、我々も取材していますのである程度は知っているんだけれども、自分で体験すると予想をはるかに超えてしんどいことがわかりました。予測していたよりもずっとしんどいです。たった2~3個のがんがあるからといって胃袋を全部とってしまうということで本当にいいのかということなんですね。やはり我々は、次の世代のためにもっとちゃんと考えなければいけないなと思っています。
9.患者が声を上げて、より良い医療を
治療というのは、お医者さん任せではだめですね。やはり外科医は切りたがるんです。切るのが仕事みたいですから、どんどん切ればもうそれで一丁挙がりというようなことで、余りほかのことは考えていないんだと思います。
丸山ワクチン等、先ほど免疫療法の話もありましたが、こういう方法等をやはり真剣に考えるべきだと思うんです。先ほど日本の医療は医師や病院任せと言いましたが、要するに、お医者さんはできることをやっていればそれでいいというのが日本の制度なんです。もっといいことを患者のためにやらなければいけないというのが医師の仕事になっていないんです。これは、お医者さんに任せている限りその状態が続きます。お医者さんを焚きつけるというか、先生、何でこうやってくれないんだ、しんどいじゃないかということをもっと言わなければいけないと思います。
そういう意味で、この後、話される伊丹先生などは本当に立派だと思います。こういう先生がいらっしゃるだけでいいんだと満足していたら、やはりちょっとだめなのではないかと思っています。
雑駁な話ですけれども、一応伊丹先生の前座ということでお話しさせていただきました。
皆さんも、いろいろ苦労されているんだと思います。ぜひ日本のがん医療が少しでもよくなるように、患者体験者、手術体験者、放射線体験者がもっと声を上げていかなければいけないと思います。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)