講演会(ご案内・ご報告)

第5回講演会

プログラム3
「医者からと患者からみた“がん”の違いー自らのがん体験から分かったこと」
公立阿伎留医療センター 診療部・参事
医学博士:江上 格


1.はじめに:丸山ワクチンと故丸山千里先生との出会い

安江上 格先生  今回講演依頼があり、故丸山千里先生との出会いの頃を思い起こしました。私が医師としてやっと一人前になった30年ほど前になります。その日私はワクチン療法外来の担当でした。「乳がんの患者さんのことで君に頼みたいことがあるけど…」と話しかけられ、「うずら大の瘤があるのだけれど手術を受けるよう君からもすすめてほしい。」「手術しないでワクチンをして欲しいとせがまれている。手術後にやりましょうと説得しているがきかないで困っている」この短い立ち話を、今回思い出したとき、過日読みなおした免疫学の権威(多田富雄 免疫の意味論)が著した書物の一節“癌に対する免疫”を思い出しました。
 がんの監視・抑制の役割を担う免疫の隙をついて、がんが発生・増殖し進行状態になるとがん免疫は抑制されている。それを外科手術で摘出することによって、がん免疫系の機能が回復し癌細胞に対する免疫が再び発動する。
つまり外科手術によって癌病巣を摘出しても多くの場合、癌細胞は残存しますが、これも消えてしまう。外科療法は、ある意味では免疫療法なのであると述べています。
今考えると、丸山先生はとにかく大勢の患者さん一人ひとりを直接みて積み重ねた経験からの発想であり、その深い洞察力に敬服します。
講演要旨:医者と患者のがんに対する認識の違いを、自己のがん体験より具体的にあぶりだし相互理解を深めることを目的とした。普段の生活の中ですぐに役立つがんの常識、情報、普段感じる疑問を述べる。またがん医療の質すべき歪み、置き去りにされた問題を提起する。



2.自らのがん体験

 私の病気のことを簡単にお話させていただきます。突然それは知らされました。その日は外来担当日でいつものように外科外来で診察をしていたところ、病理部長から、「会って伝えたいことがある」という電話がありまして間もなくみえました。ちょっと普段見せないような緊張した様子で診察机の前に座っている私に病理検査の報告書を渡しました。「胃生検グループV」、これは「V(ブイ)」ではなく「5」で、悪性という意味です。それも低分化腺がんということですから俗にいうタチの悪いスキルス胃がんと同じ組織型です。
 私は「わかりました。わざわざ来てくれてありがとうございました」と礼を言い、そして外来診療を続け、いつもの時間、午後遅くまでやりました。それから妻に電話でがんに罹ったということだけ簡単に電話しました。
 このとき、私はどんなことを考えたか。
 その当時は画像モニターがありますから自分の胃の中は見てわかっているわけで、内視鏡で何にも病変がなくて癌だということは、スキルスかなと。しかし、すぐ死ぬというような病状ではないということは明らかだと思いました。また、手術はどこでやるか、だれに頼むかと。その当時非常に忙しくて1年に一日二日しか休めない状態だったので、手術をしたら術後療養も含めて3カ月ぐらい休めるかなという、ショックというよりもニヤッとしたいような感じでございました(笑)。
 「手術前に家族に言ったこと」ですが、父はもう大分前に亡くなっていましたので、年老いた一人暮らしの母のこと、私が何かの事故で植物人間になったら延命処置はしないことを妻に伝えました。息子、娘に自分を信じて強く生きよ、人に好かれる愛される女性になれと。妻にはこれまでありがとう、そしていい子を生んでくれてありがとうと言いました。手術までに何日もありませんでしたけれども、とにかく毎日、ステーキを食べに行くぞと、(笑)手術をしたら当分食べられないのでそれだけ宣言して、家族と一緒に食べに行きました。
 またたく間に医局あるいは病院内に、私ががんになったというのは千里を駈けるごとく分かってしまいました。いろんなことを言ってくれましたけれども、自分の体のことだから主治医に遠慮しないで何でも言った方がいいよ。というのは、同じ病院で親しい間柄ですとかえって言いづらいところもありますから、そんなことを言ってくれる人もいました。大病は人生の大棚ざらえをするチャンスだとか、病気になると自分が一番重症で不運だと思いがちだよ。そして意外と自分の周りに大病や大手術をした人が大勢いるよと言われて、それでちらっと考えたら実際、大学に残った僕の同級生なども大病して2年ぐらい出たり入ったり入退院を繰り返した人もいますし、手術をした人もいましたし、肝臓が悪く黄疸になって入院した人もいました。そういえばそのとうりだということに気が付きました。
 医者は病気になっても死んでも余り話題にはなりません。今はちょっと違いますけれども、以前伝染病があった当時は、医者は何かあると一番接するわけですから、野口英世もそうですけれども、そういうような非業の死を遂げるというのは、覚悟の上みたいのはあったわけです。



3.がんで入院中、療養中に感じたこと

 がんに罹ったときの病院、執刀医選びは医者が患者になった場合、一層難しいなという面もありました。皆さんもがんになってどの病院に行くかというのはいくつかの候補があり一長一短があるので迷うと思いますけれども私も同じです。
 入院すると担当医から話があって、最後には「先生におまかせします」というような言葉が出るわけですけれども、自分が入院してこの「おまかせします」という意味は、方針を決めるまではあれこれ自分で熟慮しますけれども、いったん決めたらもうお願いするしかないわけですから、そういう意味で「お願いします」という意味だなというのがわかりました。
 がんが報告書でわかった時、私自身は余り大きいショックはなかったのです。その一番の理由は精密検査で癌だということが分かって、たとえそれが末期ということになっても最低3カ月ぐらい生きられる余裕がある。その間に身辺整理とか、遺言を書くとか、家族との時間とか、それ位の時間はあるなということが頭にすぐ出てきました。
 次に、「論より証拠、ダーウィンの進化論」、これだけでは何かわからないとおもいます。
私は胃を全摘したので当然術後は食事が思うようにならなかったのですが、よくなってきてある程度期間がたちましたら、それこそステーキというかすき焼きでも焼肉でも食べちゃうというふうになりました。これは考えてみればすごいことで、患者さんは、これは胃がまた出来てきて、トカゲのしっぽのように再生してきたと誤解して、「また、胃ができたみたいですよ、先生」と僕に言う人がいます。「いや、再生はしないよ」と言うと、「いや、だって……」と言い張ったりするのです。そのくらい回復します。これだけ適応力があるヒトの体、ダーウインの進化論に例えれば、生物に内的外的な大異変が起った時、それに対する適応力、これがその生命が永続するという大条件です。そういう意味ではヒトもあと何百年生きるかわかりませんけれども、当分はこの仕組みがあるから生きられるなと感じました。また、あらためて古人の言葉「医者が包帯をして、神が治した」ということを改めて感じました。
 手術が終わると副作用のダンピング。胃の手術をなさった方はおわかりになると思いますが、いろいろ大変なところがありますが、これを克服するにはこの病気はどういうものかという基本的なことだけ教えてもらうか自分で勉強した方がいいと思います。対処法は個人差がありますのでここでは申し上げませんけれども、いろんな方法がありますからそれらを参考にして自分なりに工夫して、余り思い込んで一つにというのではなくあれこれありますので、自分にあう方法を試しながらやっていただければだんだん解かると思います。
 次に、「病気中は物事を即断するな、周りに相談相手を見つけよう」というのは、体がまだ十分に回復していないと頭の方も回復していないことを感じました。
 看護婦さんとは仕事場の同僚ですから普段は雑談等するわけですけれども、患者として接して、とにかくナイチンゲール精神を徹底して教育されているということがよくわかりました。
 「入院生活の一日」、入院生活は手術をしてしばらくは大変というところもありましたけれども、しばらくたてば時間を持て余すぐらい退屈になると思っていました。これが予想外で、入院された方はわかると思いますけれども、朝早くから起こされて、夜遅く見回りで起こされたりなど、忙しかったということです(笑)。回復療養期間中は、余り見回りに来ないように看護婦さんの方が気をきかせてくれました。
 「体力増強」、これは回復を何とかスムーズにと皆さんも工夫されていると思いますが、私も手術してまもなくいろいろやりました。手術が終わってからどういう時期にどのくらいやるか。血液検査で血中蛋白あるいはアルブミンという物質があります。それがどの程度の影響があるかを見ました。考えてみるとやり過ぎはだめですね。我々の年齡はとにかく歯食いしばってとか、死ぬ気になってとか、大抵やり過ぎてしまう。やった分だけ十分休養をとらないと力がつかないということはデータにでましたし、自分でもそういうふうに感じました。



4.医者からと患者からみた“がん”の違い
  「見方の違いか、考え違い・勘違いか」

1)がんの何が怖いのか

 患者の立場:とにかくがんは死ぬ病気で怖い、何といってもがんというのは特別で死ぬ病気で、ほかの病気とは全然違う、体のどこにでもできるし、手術して治ったのかなと思ったら突然とんでもない別のところに転移だとかといって出てくる。それで最期は末期がんで苦しんで死ぬ。手術してもそれが治ったことにはならない、5年はみなければならない。乳がんなどはゆっくりがんですから十年みなければならない。そのときになって初めて大体いいんじゃないかと言われるわけですから、とにかく年中ビクビク、何が起こるかわからないというような意味で「怖い」というわけです。
 医者の方から言うとちょっと違いますけれども怖い面があります。私たちは“がん百態”というのですけれども、がんは同じ胃がんでも十人十色というよりも百人百様ぐらいに、どこかで個人個人で違いますから、パターン化してやっていくというのはなかなか難しいところがあるわけです。そして手術前に頭の先から足の先まで検査をしますし、手術中は胃の手術だったら胃以外はみないというわけにはいかないわけです、全身みるわけですから。それも手術しているということは、手術は簡単にいうと大怪我ですね。当然それは生命の危機ということになるわけですから亡くなる人もいる。すなわち手術で亡くなる人はいるわけですから、そういうような大変なことをやるということですから、いろんな知識や経験がなければいけないということがあります。
 抗がん剤を使うと致死的合併症とか副作用がありますし、それが終わりますと、そのあとはずっと経過を観察しなければいけない。その間に予想外のこととか例外的なことというのが起こりますので、それも考えながらいかなければいけない。そして5年間もそういうふうにやっていますと、一人の患者さんの情報が膨大になるわけですから、それを考慮に入れてみるといってもちょっと勘違いする、見間違いするというリスクは多少なりともあるわけです。しかしそれを全部完璧にはできないわけですから、そういう面で怖いなというような感じは持っています。
 がんの怖さはみる人の立場によって違うと言う事です。我々医者の方からみると、がんの困難性は非常に高いのですけれども、がんは非常におもしろい。おもしろいというとちょっと不謹慎ですけれども、複雑で学問的に興味深く、やりがいがある。そしてこれには波瀾にとんだドラマもある。こういうような表現で仕事をしております。


2)抗がん剤は本当に効くのか

 抗がん剤は歴史的にみるといろんな変遷がありますけれども、いずれにしても大変強い副作用でお亡くなりになる人もあるというような時代もありまして、とんでもない薬みたいなところもあるわけです。
患者:副作用が強いが再発・転移で治ったと言うのを聞いたことがない。抗がん剤で50%有効と言う意味は患者の50%が治ること、さもなければ、平均寿命の残り50%、60歳男性なら残り18年の半分つまり9年位生きられることと思います。
図に「がん診療レジデントマニュアル」と出典が書いてあります。

図1


医者:図1は若い先生がハンドブックとして教科書的に使用しているものです。抗がん剤ががんにどの程度効くかというのは、がんの種類によって相当違う。A群からD群の4群に分けて「治療が期待できる」、「延命が期待できる」、「症状の緩和が期待できる」、そしてD群が「効果の期待が少ない」と一番悪いわけで、これだけの差があります。図のように白血病、リンパ腫は治るあるいは長期寛解(病気が良くなる)が多く、乳がん、卵巣がん、前立腺がんは延命がみられる人が多い。しかし、普通のがん、胃、大腸がん、肺、肝臓、膵臓がんではC群の「症状の緩和が期待できる」あるいはD群の「効果の期待が少ない」のであります。
 しかし、最近少しずつ延命効果も出ていますが、まだまだ不十分です。いずれにしても医学的には有効率は50%ぐらい今出てきているのです。そこで患者さんに50%効きますよといったら、100人のうち50人は治る、あるいはその年齡の平均寿命まで全うするのではないかと思う方もおられると思います。60歳の人でしたら80近くまで生きますから、そうすると余命はそれの50%ですから9年、10年、くらい生きられるのかなというふうにとられる方も少なくないのではないかと思いますけれども、これは全部違うわけです。個人の観点でいいますと、上のA、B群でも自分が効かない群でしたら全くだめなわけで、効く人というところに入れば治る、あるいは延命するのであって、そのようなひとが大勢おられるというわけです。そういうふうに個人レベルで医学的統計とは違うのだというのは、国立がんセンター中央病院の名誉院長の市川平三郎先生がお話をするときに強調して言っておられました。この辺で少しシーンとなりますか(笑)。
これは医者と患者の見方の違いと勘違いと思います。


3)「タチのいいがん、悪いがん」

患者:乳がん、子宮がん、リンパ腫は“タチのいいがん”で、膵臓、肺、肝臓・胆のうにできるがんは“タチの悪いがん”と思う。
医者:「タチのいいがん」とは早期発見しやすく、進行例でも治療成績が良好である。再発・転移に対して薬物療法の有効性が高く長期生存が少なくない。「タチの悪いがん」とは早期発見困難で、発見時に進行がん、転移例が多く、早期癌でも手術困難なうえ大手術でありしかも成績不良である。くわえて抗がん剤も効かない。したがって長期生存率(5年生存)も低い。乳がん、子宮がん、リンパ腫は「タチの良いがん」、膵臓、肺、肝臓、胆のう・胆管は「タチの悪いがん」で、胃がん、大腸がんはその中間と一般的に言えると思います。

表1


表1の日本の7施設のがん登録の数字は各臓器がんのパーセントで5年生存率です。これらの値が大きいほど5年生存率が高いということです。一番上の全がんが49%、約半数はそれなりの治療によって5年は全うするというようなことです。表を上から見ますと、食道がんは25%と低いですね、それから肝臓、胆のう、膵臓、肺・気管は6〜20%と更に低い。乳がんは83%と高い。胃、結腸・直腸は各々58、66%と中間の値です。

表2


表2の方は米国SEERと欧州連合EUとあります。日本と比較して米国は前立腺、ホジキン病(リンパ腫)、白血病は高いが、胃、食道、肝臓は低く、特に胃がんは22%で日本の58%と比べ著しく低い。結腸・直腸、子宮、乳がんは略同等です。胆のう・胆管、膵臓、肺・気管は日本と同じように非常に低い。全がんでは63%と日本に比べて14%高い。肝臓、胆のう・胆管、肺・気管のがんは5生存率が低く、膵臓などに至っては一桁ですから惨憺たるものです。これらは「タチの悪いがん」ということで、これはどの病院、どの医者、世界中どこでも同じということです。
 それから今年の「日本の論点」に“がんの生存率向上”でこんな話が出ています。がん拠点病院の一つである駒込病院の院長の森先生、彼は大腸がんの権威でこんな話をしています。
 自院の大腸がんを1975年と1995年、それぞれを10年間ずつ2群に分けて成績を比較した講演用の資料をみて、その2群間に5年生存率で28%の改善がでました。28%というと30%近くで非常に大きい改善ですが、これをよく調べると後半の1995年からの10年には非常に早期がんが多く、早期がんの比率が生存率改善の主因であるということが判明したということを述べています。
 胃がんについては、全国のがんセンター30施設別に胃がん5年生存率の成績が報告され、トップはがんセンター中央病院で84%、下の方は匿名で64%とトップと20%の差があり、これをみると手術の時はがんセンター中央病院に行かなければいかんなという考えになるわけですけれども、実は必ずしもそうではないというのがその脇に出ている早期がんと末期がんの比率です。がんセンター中央病院は早期がんが非常に多くて末期がんの12倍、一番成績の悪いがんセンターは2倍です。すなわち成績の差異の主因は大腸がんと同様で早期がん多寡であった。
結局、政府は対がん対策推進計画の中で「75才未満のがん死亡率を20%削減」をうたっているが、早期がんの発見策以外に手っ取り早い成績向上は不可能ではないかと締めくくられています。
 「タチのいい、悪い」は時間的、それから施設間、地域、国により違いがあります。国際間の比較で生存率の高いがんはその国での罹患率が高く、診断・治療が進歩し、早期発見率も高い傾向がある。タチの良し悪しは国によって大きく変わる。欧米で「胃癌に罹った」とわかったら“もう末期がんで、先が無い”と思われるし、実際多くはそうなる。日本とはだいぶ違う。
がんのタチの良し悪しの指標としては、臓器別のがんの死亡率、5年生存率、そして各臓器がんの臨床病期分類あるいは進行度分類が一般的に広く知られています。がんの進展は一言でいうと“浸潤と転移”すなわち無秩序な増殖性・周囲臓器への浸潤と遠隔臓器転移です。ですから早く見つけて、すぐ治療する。治療が成功すれば治癒あるいは延命ができる。この分野の研究は急速に進んでいます、現在「タチの悪いがん」も将来は「タチのいいがん」になる、がん制圧に至ることでしょう。


4)「がんの治癒」とは

 がんが治るというのは、多くは手術をした後5年たったときに再発がなければ一応治った、治癒とみなされるというのが一般的認識です。ではWHOでがんの治癒というのをどう考えるのか、記載のまま読みます。
 “癌の治癒“とは:治療を受けたがん患者集団(集団P)の平均寿命が一般人口の平均寿命に等しい場合に集団Pに対して用いられ、患者個人にたいしてはこの用語は好ましくない。
 治癒と見做される個人には永続治癒ではなく「治療開始後○年○月治癒」例えば胃がんになって6年8カ月たって検査して治癒じゃないかといったら6年8カ月治癒と書く。そのときには治癒と見なしましたよとなっております。
 がんは治療・手術が無事終了しても「治ってよかったね」にならない。手術で「治癒切除」、いわゆる「全部きれいにとれました」と伝えられると、治癒見込みあるいは治癒と思われかねない。再発の可能性は「非治癒切除」に比べ明らかに低いが、全員に起こり得る。より確率の高い指標としては手術時のがんの進行程度で、これが再発率により強く影響する。
この考えに基づいてがん患者は手術後全員長期にわたって経過観察される。これをサーベイランス、一般的にはフォローアップ診療と呼ぶ。目的は再発の早期発見・治療によって治癒を目指すが、でなければ生存期間の延長である。
患者はよく言う「手術が済んでからが本当の始まりよ」。医者は悟るべし「これからが医者の仕事だ」


5)がんとどう付き合うかー生活習慣病+免疫機能障害の難病としてのがん

患者:がんは他の病気と違って類似点がほとんどない特別な病気で、がんは体のどこからでもでるし、転移もどこでもでる。末期になったら激痛がでる正体不明の化け物みたいで怖い、それで忌み嫌われている。
医者:がんは生活習慣病というような時代に入りましたけれども、お手元のところにありますがんは現在二人に一人はがんに罹る、また発見されないでそのまま寿命を全うされた人も多いですから、そういう人まで入れると人口の70%が人生のどこかでがんになるという非常に身近な病気、コモンディジーズと言うことがいえます。
表3「がんの要因の、死亡への推定寄与割合」をご覧ください。

表3


生活習慣病の心臓病、脳卒中、糖尿病とかの発生要因と比べますと、喫煙、食事、運動、お酒など生活習慣病の代表的な要因が類似点ですから、その点からも生活習慣病の一つだということがいえると思います。喫煙は肺がんの原因の一つであることは多くの疫学研究で示されている。煙中にはいろんな毒物がたくさん入っており、現在わかっているのは4,000種類の化学物質のうち200種類の有害化学物質があって、そのうちの60種類に発がん性がある。ですから煙が直接通るところ、気道・肺、食道とか喉には強い影響があり、発癌リスクというのが非常に高い。血中にも回りますから体のほかの多くの部位のがんのリスクになります。そしてこれに対する予防、早期発見・治療の成績向上を目指し薬物療法の開発・進歩がすすんでおり、治療法の画期的進歩が期待されている。
 世界保健機構(WHO)は「食物・栄養および身体活動とがん予防 2003」の中で予防というような観点からの疫学研究の知見に基づき「食物・栄養要因とがん発生との関連についての科学的証拠に基づく評価」(表4)を報告した。

表4


がん要因との関連の確かさを3段階にランク、「確実」、「可能性大」、「可能性あり」に分けています。一見して生活習慣・慢性疾患のそれと略同じである。
 がんと生活習慣病両者に共通する特徴としては長期の潜伏期間(無症状期)があり免疫機能が低下する壮年・老年期に発病する頻度の高い慢性疾患である。原因が単一でなく機序も複雑、要因と予防は喫煙(禁煙)、食事、運動、飲酒などの生活様式が代表的で70%を占めており、多くは壮年・老人期に発病し進行すると生命危機がある。治療は原因治療でなく制御(コントロール)することである。発見時病巣が広がっていなければ手術で一命をとりとめるが「病気が治った、完治した」ことにならない。長期の経過観察で再発症候がないケースは治癒見込みとなるが、再発では治療で一時軽快するが完治は困難で進行性となる。免疫学的にはがんとは逆パターンになる自己免疫疾患である膠原病および類似疾患、リウマチ性疾患の病像と類似する難病であるという見方もできるのではないか。
 がんは「あいつは組織のガンだ」とか「あれは社会のガンで切り取るべきだ」とかのたとえにされる程忌み嫌われておりますが、がんの見方を変えて見ますと、がんは生活習慣が要因で発病し、病態病状の多様な、長期療養を要する慢性疾患であり、免疫学的機能不全と類似する慢性疾患であるという見方もできるのではないかと思います。こういう見方ができるとすればがんのイメージが少しは変わると思います。


6)近代医療現場での「診察」の重要性

 近代医療は、診療精度を非常に高めて同時に均一化、標準化を可能にしました。医療現場では現在パソコンがどこにでもあって、医師は画面を見てそれを作動し検査項目をクリックする。それで報告がくると目を通してそれに対応して、クリティカルパス(標準手順)に沿って進め患者さんを手術する。手術のやり方も決まっていてそれに準じてすすめる。そして2週間ぐらいで退院になります。これをちょっと振り返ってみると、診察するという作業、医師が患者さんを診る、触れる、それは非常に少ない、時にはほとんどないということもある得るわけです。この精度の高い診療にちょっと何かで漏れが生じると、時に落とし穴に入り重大な結果になることがあります。
 手術した患者あるいは重症者はモニター管理になりますが、モニター、検査ではわからない患者の緊急異常事態があること、またこの緊急非常事態に対し身体診察の重要性と有効性があることを示す特徴的な例を話します。
 第一例の患者は手術後に病棟に戻って少し経ってから出血ショックになりました。これは大事件です。ところが、当然予め患者の状態がこうなればこうするというような通常の予測指示が出ています。その指示によっていろんな点滴、薬剤をやります。翌朝、患者の状態を血圧、検査値など朝一のデータがどうなっているかを見ると「あまり異変がない、予測の範囲内」という結果を見て「変わりありません」と担当医が言うのです。もし、ここで患者を診ておれば、「この患者はおかしい」になります。
 この重大事に対し検査、モニターが必ず反応するとはかぎらない。その一因は予測指示が出ていますから、出血性ショックが修飾されたことでモニターは警告を発しなかった。すなわちショックは解決せずに持続している状態です。
 次の例は手術一週後の敗血症、これは腹腔貯留液感染による重症例でショックを呈し、患者は発熱と意識が少し朦朧としていた。担当医は熱が出るのは手術後の当たり前の反応、意識障害は前夜睡眠剤を飲んでいた結果であるとの判断でした。その日担当医はこの患者の状態を単に検査データで見ていたが患者の全身状態と腹部を診ていなかった。その結果、患者が敗血症性ショックで寸刻を争うような大変なことになっても、その場で起こっている生命の危機の認識ができないわけです。
 これは逆の例、長期臥床(寝たきり)の患者さんはその長期臥床状態だけでも循環動態に影響して血圧が80以下になる人は珍しくありません。回診時担当医に「血圧がちょっと低いね」と言うと、それが80を切っていることを知ると何と「ショックですね」と事も無げに私に言うのです。私は唖然としていました。そのとき患者は少し微笑んで私と普通に会話していたのです。長期臥床患者は血圧が下がること、またショックは血圧だけで判断しない、できない。低血圧とショックは全く違う。ショックは身体診察所見が基盤である。検査、モニターは本来医師の診察を補完し、より精度を上げる手段ですが、医師の診察の代理はできません。患者の生命を脅かすような高度緊急性の重大変化には十分対応しきれないことがあります。
 それから4例目、がん再発4年で病気が相当広がって末期状態になって私のところに診察を受けにきた患者さんでした。診察するとリンパ腺も腫れて、左腹部の下のところに硬いシコリもあり、お腹もちょっと全体に張って腹水がある所見でした。便通もよくないので直腸診もしました。診察が終わってから結果を話していたら、急に、患者さんが目を潤ませてウルウルして声をつまらせて「先生、ありがとうございました」、「こんなに全身を診察してもらったのは4年間で初めてです」と僕に言うのです。私は初診患者の診察をしただけですので全く予想外というかびっくりしたのです。診察しただけで病気が良くなるわけではないですが、もうこの診察だけで患者さんは自分の体をわかってもらったというような安心感がわいたのでしょうか、いろんな意味があったと思いますけれども、とにかくやっぱり診察というのは大切です。
患者診察法は簡便ですが、ある程度のレベルの診察能力に達するには様々な疾患と緊急度、重症度の患者を経験する必要があり、年数がいりますが、一旦身につけば20ー30秒ほどです。朝、患者さんに声をかける、返答をみる、顔の表情そして脈をみる。これで患者に異変があるか、直ぐに対応を進めなければいけないか分かります。
 医師の仕事というのが従来と比較して、知識量は数倍、内容も高度になり、それに加え医師でなくて済む業務が非常に増加しました。この身体診察の大切さについて、今、大学教育の中で改めて診察法が重要視されています。僕ら年代はみんな学生時代から先輩に厳しく指導されました。当時は患者さんをみるといったら診察しかなかったぐらいの時代ですからね、それは叩き込まれたわけです。近代医療の現在でもその重要性は同じだという意味で、そしてなにより患者さんにとって非常に大切だと思います。


7)末期がんを見捨てない、救う

 今はがんが早期にみつかると開腹しない内視鏡あるいは腹腔鏡の手術法が非常に進歩して患者さんの体への負担は小さくなってきました。しかし、一方で転移・再発した患者さんには抗がん剤をやり、そして効かなくなると「これ以上治療はありません。通院も必要ないですから、近所の病院でご存じのところがあれば紹介いたします。」「ホスピスの紹介もしますよ」と、そこまで言うドクターもいます。今、このようなひとつの流れがあるわけです。有効な治療法がないことは分かっているが、さりとてまだ日常生活に余り支障なく過ごしている患者にはとても受け入れられない。「治らない」からといって、「すぐ亡くなる」と言うわけではないのです。患者さんは医者に“診てもらう”ために来ているのです。見捨てないでほしい。

<医学的統計と患者個人の生命予後は違う>
臓器別のがんの進行度・病期は代表的な予後(先行きの見通し)予測指標で、末期にある患者の多くは医学統計学的にそう遠くない時期、6ヶ月くらいで亡くなります。それは蓋然性、確実性の度合いであって、5年以上に長生きする人も腫瘍の種類によってはかなりいますし、時には天寿を全うする人もいます。これとは反対に早期がん(I 期)にも少数ですが5年以内に亡くなる人はいます。個人レベルでどの患者がどのぐらい生存するかの判定はベテランの医師でも極めてむつかしい。これを補完する意味から「生物学的予後因子」が多数発見されていますが、現在的確に判定できるものはない。先行きの見通しは、「がんのタチの良し悪し」で述べたように、がんの質、ヒト、治療効果などの総合的判定で決まりますから単一の検査で分かるものではない。診察、検査を重ねて経過をみるとかなり分かります。「末期がんの診療方針こそ患者の生き方であり自身が決める、死ぬ時期は神がお決めになる」と考えるのが本来の在り方と思います。診療初期に「すぐ死ぬ・末期がん」と思えた患者の中に実は「長生きする・末期がん」の可能性があることを考えに入れて診療を進めるべきであると考えます。


8)がん患者の悩みに耳を傾ける

 レジメのところにある「がんの社会学」というのを、厚労省科学研究の山口班で私も一緒にやっています。平成15年から始めて現在も継続してやっています。
 がんで外来に通院している患者さんの声を聞くというサーベイ、調査が平成4年に初めて公的に行われました。それ以後ずっとなくて平成15年に今度は私どもが7,900人程を対象にアンケート調査をしました。いろんな状態のがん患者さん、その中には末期がんの方もいますし、手術をしたばかりの患者さんもいますし、再発してもう先行き長くないなという患者さんもいました。そういった患者さんをアンケートで調べて、それをデータベースとして既に「がん体験者の悩みや負担等に関する実態調査報告書ーがんと向き合った7,885人の声」として刊行しています。今日はその詳細を話す時間が足りませんので、関連することでちょっとお話ししたいと思います。
今日の調査でどのような悩み・不安を持っているか、それらを医療機関への受診から始まる「がん患者の診療過程と精神的不安と悩み」を図2に示しました。がんの告知の衝撃で不安が膨らみ、治療(手術)を受けるところで一段と増大する。無事手術が終わっても後遺症や抗がん剤の副作用と再発の不安を長期間の経過観察中持ち続けている。一旦、転移・再発と診断されると症状の有無にかかわらず心の不安・悩みは死の恐怖感、絶望感となって急上昇し抑うつ状態となる。患者のがんの知識が蓄積される中で、転移・再発の困難な治療は身体的苦痛と精神的に追い込まれた孤独感、絶望感を強め死が直近に迫るのを感じ、生きがいの喪失、あきらめ、家族への思いを残し死に至る。

図2

 これら様々のがん患者の悩みには「相談する悩み」と「相談しない悩み」の二種類があることが分かった。診療に関係ある相談しやすいもの、解決方法あるいは答えが得られると患者が判断したものは相談に持ち込まれている。一方、診療に関係ある悩みでも「抗がん剤の副作用、症状とか手術の後遺症」は治療上避けられないものと患者が判断、思い込んで、遠慮や覚悟の上のこととして相談しないことも少なくありません。また、いわゆる心の悩み、いろんな精神的不安の「心の問題」「生き方、価値観」「家族・周囲の人との関係」などの悩みは相談されません。これは、患者さんの状態、状況は様々ですがそれで変わることなく同じであるという特徴があります。現在病院には相談室、あるいは外来での相談、電話相談もありますが、体の具合がどうとか、体の障害、症状についてはお話になるのですが、いわゆる心の問題、不安や悩みについては一切お話にならない。この悩み・不安をどこに持っていくのか、どうしたらいいか、患者さんがどのような支援、あるいは対策を望まれるかも調査しました。
その結果はダントツで1位が……もったいぶっているわけではありません(笑)。
「自助努力で解決する」がダントツ1位で2位以下を大きく離しているのです。僕らとしてはこれを見て、日本人は何とまじめで努力家で健気だなとつくづく思いました。これら調査結果を踏まえて私たちは悩みや不安な思いをしている患者さんを少しでも拾い上げて、そしてどういう相談でも受けるというような気持ちで接してあげなければいけないと感じました。
今日はお忙しいところをご来場どうもありがとうございました。