講演会(ご案内・ご報告)

第9回講演会

プログラム3
「がん治療『戦略』時代」
帯津三敬病院名誉院長
帯津 良一先生


1.はじめに -人間を丸ごととらえるホリスティック医療-

 皆さんこんにちは、帯津でございます。
 私、丸山ワクチンには東大病院にいるころから本当にお世話になっておりまして、都立駒込病院、そして今の私の病院でも随分多くの方に丸山ワクチンを使ってきました。私のテーマはホリスティックなアプローチによるがん治療ということで、まだ、ひとつの方法論としてのホリスティック医学を手にしているわけではないのですが、とにかく理想のホリスティック医学に近づこうとして29年間やってまいりました。現状での私のホリスティック医学、その中で丸山ワクチンの位置取り、こういうことを少しお話させていただきたいと思います。
 ホリスティック医学というのは、身体(Body)と心(Mind)と命(Spirit)が一体となった人間をまるごととらえる医学でございます。西洋医学がどうしても身体を中心にして、そして局所を診ることにだんだん傾き始めた反省というか批判というか、1960年代に起こった考え方なのです。
 図に示しましたのは階層の世界です。我々はこの「場の階層」の中に生きている、身体の中には臓器から素粒子まで幾重もの場が重なっておりますし、身体の外には地域社会とか、それからずっと上にいくと虚空までいろいろの場が重なっているわけですね、この階層で言えることは上の階層は下の階層を超えて含むという原理がございます。ですから下の階層が持っている性質は上の階層は全部を持ち合わせていて、さらにプラスアルファを持っているわけです。ですから下の階層での研究成果を上の階層にそのまま当てはめると、多少無理が生ずることがあるというのがこの階層の原理なのです。
 例えば人間という階層に生まれたがんという病気、そこへ臓器という階層に生まれた西洋医学だけでこれを何とかしようとすると、どうしても駒不足が否めない、ですから人間の階層にできたがんを扱うには、人間の階層に築かれたホリスティック医学をもってしなければだめだと、要するに簡単に言えばがんというのは身体だけの病気ではなくて、心や命が深く関わっている、ですから身体だけでなく心や命にも深く関わり合いのある医療を持ってくるということでございます。
 ホリスティック医学がまだ形を成していないので、身体・心・命にどう対処しているかというと、身体は西洋医学で、命のほうはほとんど代替療法がこれに対しているわけです。そして心はこの間にあって西洋医学と代替療法がそれぞれ役割を分担しているというふうに考えております。



2.「医療」と「医学」

 よく間違えるのはこの医療と医学を混同している方がいらっしゃいまして、医療と医学は全然違います。医療は戦いの最前線、医学は最前線が必要な武器や弾薬を後方にあっていつでも準備していて、必要なときは届ける。ですから兵站部、ロジスティックスにあたります。最前線とロジスティックスですね、ですから医学のほうは性能のいい武器をたくさんそろえておけばいいわけで、これはまさに科学的な根拠の世界なのです。医療のほうはそうではなく、科学的な性能のいい武器をたくさん持っていればこれで済むかというとそうはいきません。やはり戦いというのは戦略と戦略の戦いになりますからここに差が出てくるわけです。その辺を間違えないで医療を論じているのか、医学を論じているのかということを常にきちっとしないと、いろいろな討論が混乱してくるわけです。
 医療というのは英語でいうと Care ですけれども、これはやっぱり治しと癒しを統合したものであると、治しというのは西洋医学が担当して、癒しは代替療法が担当する。そうすると西洋医学と代替療法は医療にとってどちらもそれぞれ一翼を担っている大事な存在であるということになります。



3.「医療」は「場」と「戦略」

 医療とは本来、場の営みであると、患者さんを中心にご家族とか友人とかあるいはいろいろな医療者が集まって場を営んでいる。それぞれが自分の命のエネルギーを高めながら、他者の内なる命にその思いをやって、その共有する医療という場のエネルギーを高めていく、それによって患者さんだけでなくて当事者すべてが癒されるというのが医療だと思うんですね。
 その場合、当事者はみんな対等の位置にあって、主役は常に交代していく、そのときに一番ふさわしい人が主役になる、そのほかの人は脇役に徹するということなのです。ですから、これからのホリスティックな医療に入っていきますとこういう関係が非常に大事になってきます。
 20世紀は医療と医学の混同の時代だと思うのです。西洋医学が急速に進歩したために医療=医学という錯覚が起こってしまったわけですね、そういう意味ではいつも医者が主役で、ほかの人はいつも脇役という形がどうしてもあるのですけれども、そうではなくて随所に主となるということは、いつも主役になるということではなくて、その分に徹すればいいわけですね、ですから主役はいつも交替する、主役を降りた人は脇役として徹するというふうに考えていけばいいわけです。
 医療は場と戦略であるということをかねがね言ってきております。場は先ほど申し上げました階層の場を思い出していただければいいのですけれども、我々は場の中の存在であって、その場の中で戦略的に治療を行っていくということでございます。
 私たちは場の中の存在です。図にお示ししましたように左から「虚空」、「宇宙」、「地球」と書いてありますけれども、こういうもう逃れることのできない場の中に我々は身を置いています。そのほか日常的には家庭とか職場とか、それから地域社会とかというさまざまな場に身を置いているということです。



4.自然治癒力とは

 場があればそこに自然治癒力が存在する。ホリスティック医学の場合はどうしてもこの自然治癒力というのがもう目の前にチラチラしまして、これがなかなか解決できないというか、ヒポクラテスの時代から西洋医学でいうとローマのガレノスとか中世のパラケルスス、ずっと自然治癒力を追いかけてきているわけですけれども、いまだに何とも正体がつかめないという不思議な力であるわけですが、自然治癒力の存在はだれも否定しないという妙な存在なのです。
 私も自然治癒力についていろいろ今まで考えをめぐらせてきたのですけれども、大体自然治癒力は何を見てもそんなに深く入っている考え方というのはございません。ですからかなり前からこれは何を言っても大丈夫だなと思って、自分で自然治癒力はこういうものだともう決めてしまって、それをどんどんしゃべっているわけです。だからこれは独断と偏見ですけれども、ほかにしっかりしたことをしゃべっている人がいませんから、自分でこれでいいだろうと思っているわけです。自然治癒力とは本来的に場に備わった能力である。要するに先ほどの階層のように身体の中にいろんな場があります。その場のエネルギーが命であって、それが何らかの理由で低下したときにこれを回復すべく、本来的に身体の中の命の場に備わった能力、だから場があればそこに自然治癒力が存在する、要するに場は人間の独占物でもなければ生物の独占物でもなく、我々の命の場というのは、先ほどの階層の絵をご覧になればわかるように環境の場の中の一部でございますから、この身体の中にある自然治癒力は当然環境の中にもあるわけですね、ですから場があれば必ずそこに自然治癒力が存在するというふうに考えるわけです。
 自然治癒力の在り処はわかりましたけれども、その本体は何かというと自然治癒力の一番高い場を探せばわかるわけです。自然治癒力の一番高い場というのは浄土なんですね、阿弥陀様の浄土です。ですからその浄土はどこにあるか探したら東京の親鸞仏教センターの本多さんが、「浄土とは本願の場である」と、その著書に書いてあるわけです。「阿弥陀様の本願が満ち満ちている場が浄土である」と、あっ、そういうことかと私もすぐわかりました。
 自然治癒力とは実は阿弥陀様の本願のことだった、そうするとこれは科学でいくら探そうとしてもなかなか見つかりませんから、当分の間、証明はできないが、阿弥陀様の本願が自然治癒力なのだと、とりあえず考えたわけです。
 そしたら藤原新也さんが一年ぐらい前の短編集の中で、生きとし生けるものは哀しみを胸に抱いて生きているわけですけれども、その哀しみには人を癒す力があるということをおっしゃっています。その哀しみもまた豊かさなのである、なぜならそこには自らの心を犠牲にした他者への限りない思いが存在するからだと。
 そうすると生きている方だれもが哀しみを抱いている、これはどういう哀しみかというのをここで言いますと長くなりますけれども、簡単に言いますと、我々は虚空からやってきて虚空に帰る孤独なる旅人であると、旅人は旅情を抱いて生きています。その旅情は喜びと哀しみ、そしてときめきと寂しさと、そういういろんな感情が交錯したしみじみした旅の思いを旅情というわけですけれども、その根底はやっぱり哀しみだろうと思うんですね。
 私は医療を良くするには人の哀しみを尊敬しあう、要するに人を見たらその哀しみに注目してこれを敬っていく、そうすると医療がぐっと良くなるといつも言っていたのですけれども、まさかその哀しみに人を癒す力があるとは思っていなかった。やっぱり藤原さんは作家的なセンスでそう思われた。
 これはどういうことかと言いますと、自然治癒力は人の抱く哀しみであったということになるわけですね、そうすると本願と哀しみが自然治癒力ということになります。
 他力と自力の統合の中に自然治癒力があると、偉大な存在だと思うんですね。ですから、これは医療を進めていくうえに常に忘れてはならないと思っております。



5.プラシーボとは場の自然治癒力である

 プラシーボ効果についても、これはプラシーボ効果に過ぎないというような否定的な言い方によく使われるのですけれども、そんなことはなくてプラシーボもやっぱり私は場の自然治癒力のもたらすものだろうと思っております。「プラシーボとは場の自然治癒力である」と。
 アンドルー・ワイルさんが、「最高の治療法とは最小の侵襲で最大のプラシーボ効果をもたらす方法である」と、かねて言われたことがあります。そのとおりだと私も思いました。場の自然治癒力ですからプラシーボ効果というのは医療にはなくてはならない効果で、むしろ基本になる効果だと思っています。



6.臨床の場における「戦略的直観」

 「戦略と戦術」ですが、この戦略と戦術の関係は岩波文庫にあるクラウゼヴィッツの『戦争論』という本がございますけれども、ものすごく理論的に説明している本でございます。これを読んでいただくとおわかりになると思うのですけれども、要するに戦術をただ集めるのではなくてきちっと統合する、要するに積分するんですね、戦術を集めて戦略に使用して、そしてその戦略を高めることによって足し算では得られない新しい国家を得ていくというのが戦略でございます。これは清水博先生、場の問題の権威でございますけれども、清水博先生も「場は未来からやってくる」と、我々は場の中を移動して生きているわけですけれども、今はこういう場の中にいますけれども、終わるとそれぞれ違う場に入っていくわけですね、そういうふうに場は移動していくのですけれども、自分を固定して考えると「場は未来からやってくる」というふうに考えてもいいわけですね。
 清水先生は上品におっしゃいましたけれども、私はこの場がおそいいかかってくるというふうにとらえております。場がおそいかかってくる場を戦略的直観で迎え撃つ、戦略的直観というのは Strategic Intuition 、アメリカのコロンビア大学の経営学の先生のウイリアム・ダガンという人が提唱している考え方で、この世の中の主なことというか、この世の中を推し進めてきたエポックメーキングというか画期的な業績というのは、みんなこの戦略的直観から生まれているということを、彼はいろんな例を出して説明しております。
 「戦略的直観」とは単なる直感とは一線画す、感覚ではなく思考なのである。要するに何となく過去の個人的な経験から単にひらめくのではなくて、もう少しきちっとした Stage を伴ったひらめきなんですね。
 これを言いだしたのはクラウゼヴィッツなんです。クラウゼヴィッツは戦略的直観という言葉は使っておりません。ただ、彼の考えはまず、戦略を巧緻するときにはひらめきが一番大事だというのです。そのひらめきが生まれるまでにまず歴史上の先例に学ぶ、歴史上の数々の先例をきちっと整理して引出しに入れておいて、そしていったん平常心になって、そして戦局を一瞥するというところがこの戦略的直観の大事なところなんですけれども、あまり細かく見ないでパッと見るんです、一瞥。
 これは先日来よく売れている将棋の羽生名人の『大局観』という本がございますけれども、彼も同じことを言っていますね、将棋というのはどんどん読み込むということも大事だけれども、それよりもむしろ大局観が大事だと、パッと一瞥して、将棋の場合の彼のいう大局観は盤の上を一瞥するんですね、どういうことかというと、パッと見て香車が4枚隅にあるなというのがわかればいいのだそうです、で、あとはもう見ない。それで歩は攻めるべきか守りに徹するべきか決めていけばいいというのです。それがないといくら読んでも読みだけではだめだということをおっしゃっています。クラウゼヴィッツもそれを言っているんですね、で、そこでひらめくわけです。歴史上の先例に学んで平常心に立ち返って、戦局を一瞥する、そこでパッとひらめく、そしたらこれを不屈の意志で遂行する。
 こうしたことによってうまくいった例をたくさん挙げています。例えばコペルニクスの地動説の発見、ナポレオンの連戦連勝、ケネディ大統領のアポロ計画、それからIT界におけるビル・ゲイツの成功とか、グーグルの成功というのもここで克明に書いております。
 例えばホメオパシーひとつをとっても、ホメオパシーというのは歴史的先例に当たるものは 『Repertory of Homoeopathic Materia Medica 』 という歴史的な辞書のような本ですね、それから個人的な体験、そして共有する場の中で患者さんと一体となるというところが平常心に戻るというところで、そして患者さんの状況を一瞥して、そしてひらめくと。これはもうホメオパシーをやっていますと、この Stageというのはよくわかります。ですから、こういうことはホメオパシーに限らず戦略的直観というのがいろいろ臨床の場で使われるというわけです。



7.患者さんと私の戦略会議 -丸山ワクチンの位置-

 この絵を私はもう20年以上使っているのですけれども、またかと言われるかもしれませんけれども、いつもこの絵なんです、これで戦略を考えるのです。
 まず、家の土台である「心」の問題が大事です。この病という状況の中でどういう気持ちで生きていくかということですね、それから「食事」に対してはどうするか、そして「気功」、私の場合は気功ですけれども、気功を何か身につけてもらう、それでその上、2階になりますが、「西洋医学」で何ができるか、「東洋医学」で何ができるか、その他の「代替療法」で何ができるか、「ホメオパシー」をどうするか、丸山ワクチンはこの2階に入るわけです。私の場合は「代替療法」の中に入れております。
 そして患者さんと二人で戦略を練るわけです。戦略会議というのをこの絵に沿って下から持ち上げていくわけですけれども、そこで丸山ワクチンのことは常に話題になります。そうですね……私のほうから勧めるということは例えば経口的に十分に摂取できない人は、どうしても口から飲む治療法があまり使えません。そういうときはもう丸山ワクチンが常に出てきます。注射とか、はり灸とか、ホメオパシーは飲み込みませんからこれはできるわけですね、こういうものを勧めるわけです。
 そうでなくても長い経過の中で、がんの患者さんというのは非常に長い経過を示す方が多いですから、この中で患者さん自身が丸山ワクチンを思いついて私に相談に来られることはいくらもあります。私のほうでは丸山ワクチンは副作用がありませんし、値段が安いというところが私は好きなんですね。代替療法は、大体って洒落みたいですけれども、大体高いものが多いんですよね、だからそういう意味ではこれは非常に私はありがたいと思っていまして、いつもこの戦略の中に組み込んでいくわけですね。



8.病院という場の自然治癒力を高める

 そして病院という場の自然治癒力をまず高めなければいけない。これはもう医療に携わっている者は常に考えていかなければいけない。先ほど言いましたように自然治癒力というのは人間の独占物ではなく、場があれば必ずあるわけですから病院という場にも自然治癒力があるわけですね。これをいかに高めるか、この自然治癒力は何によって高まるかというと、そこに身を置く当事者たちの志と覚悟なんです。日々命のエネルギーを高め続けるという志、それから一緒に場を共有する人たちの命のエネルギーを高めることをサポートしあう。
 そして患者さんを診たらもうとにかくあきらめない、この目の前の人を一歩でも前に出す、それはいろんな Stage の方がいらっしゃいますから華々しく出せないことのほうが多いわけですけれども、それでも足の幅だけでも前に出すというようなことを考える人たちが多いと、その病院の場のエネルギーは高まるわけです。
 写真は私の病院の入ったところですけれども、「今日よりも良い明日を」というのがうちの理念でして、治すということになるとこれは治ったか、治らないかの二極化になりますけれども、癒しのほうはやはり命のエネルギーを高めるわけですから少しでもいいんです、それはたくさんいけばなおいいけれども、少しでも「今日よりも良い明日を」ということで一歩一歩やっていくということでございます。
 二極化と一歩前進ですね、ですから西洋医学は治った、治らないの二極化です。代替療法は一歩前進、そういうふうにして同じ土俵で考えないでこれを協力して統合していくというふうに考えていけばいいわけです。
 写真は病院の道場です。直心館道場といってこれは気功のための道場です。これも昔は狭くて苦労したんですけれども、今は130畳敷きで50人の人が太極拳を一度にできるというところまでもってきました。
 今この道場で13功法、28番組を1週間にやっております。1週間に28番組というと日曜はやりませんから、1日4単位から5単位です。



9.西洋医学も統合するホリスティック医学

 ホリスティック医学というと、西洋医学はどうでもいいのかと思っている人がいるのですけれども、そうではなくてやはり西洋医学がしっかりしないとホリスティックにならないわけですね、特に外科的な処置が必要な事態というのは常に起こります。胸水、腹水、閉塞性黄疸、腸閉塞、そういうのはもう日常茶飯事ですから、それにすぐ対応しないといけませんから外科はやっぱりすぐれた外科医がいないといけないわけです。
 ところが、そのすぐれた外科医がホリスティックかというとそうではないのです。手術がうまい人が全然ホリスティック医学に関心がないということもあって困るのです、これが一緒になってくれるといいのですけれども。でも、私の場合どちらを選ぶかといったら、それはホリスティックでなくても手術がうまい人を選びます。そのほうが患者さんのためになりますから、ホリスティックのところは我々がカバーすればいいのであって、その外科の先生はいかに手際よくやってくれるか、患者さんの苦痛がそれだけ減るわけですから、そういうふうに選んでいるわけですね。
 ホメオパシーは昨年来、朝日新聞が火をつけて何か少しごたごたしたんですけれども、患者さんのほうはこれの良さは十分わかっておりますので、うちの場合は、がんの患者さんの90%ぐらいがホメオパシーをやっております。



10.丸山ワクチン使用の症例

 症例はたくさんあるのですけれども、私はこういうものをまとめている暇がないのと、まとめる能力もないので、あわてて「丸山ワクチンをずっとやっている人をちょっとリストアップしてくれ」などと看護師に言いまして、その中から自分で覚えているのを作るわけで非常に学問的でないんですけれども、特徴のある人を4人ばかり持ってきました。

 丸山ワクチンを7年やった人、これは乳がんの温存の治療をやったあと再発して私のところへ見えて、そのときになってあわてて代替療法、この方はプロポリス、核酸、熊笹なんてダァーッとやりだしていたんですね、それで浮足立ってやるのではだめだと、戦略的にやらなければだめだと、手術も必要だということを話しまして、で、私のところで手術をしました。

 それで戦略的には、西洋医学としてホルモン療法をやって、ビタミンCは経口摂取、今の流行りの静脈からやるのではなくて経口摂取です。そして丸山ワクチン、食事、気功、漢方薬と始めたわけです。それで7年たって、本当はこういう治療をやっていて5年たつと私の場合はそろそろ卒業しましょうかと提案をするのですけれども、この方は「いや、もう少しお願いします」と、この方だけではありませんで「ずっとお願いします」という人もおりますし、「じゃあ、ここで卒業にしましょう」とそこで簡単に決まっちゃう人もいますけれども、この方は7年で卒業しました。漢方薬をまず卒業して、それから丸山ワクチンを卒業して、今は気功だけに専念しております。ですからちょうど7年間やったということですね。


 その次の方は肝嚢胞性腺がんですね、そういう診断で来られたのですが、この方は西洋医学は初めから嫌だと言われまして、かなり大きな腫瘍があるのですけれども、それでCA-19-9なんかも488と非常に高い、ALPも480……これはちょっとどちらかが違うかもしれません、同じ値というのはちょっとおかしいですね。

 それで何をやったかといいますと、漢方薬とスーパーオリマックスという免疫活性があるサプリメント、それから丸山ワクチンとこの3つでいっております。データはいろいろ波がありますけれどもずっと元気で3年過ぎたところでしょうか、今も丸山ワクチンをやっております。


 次の症例は、もう確固たる信念で18年やっている人がおります。大腸がんと胃がんと1年の間に2つの手術をしているのです。それで漢方薬と丸山ワクチンでいきたいということで、ずっとやっております。漢方薬はさすがに全部やめたわけではないのですけれども、3日に一遍ぐらい飲みたいなどと言われて飲んでおります。丸山ワクチンは18年で継続中です。


 次の症例も12年、この方は非常にそれこそ戦略的に治療をやってきた方でございます。これはご主人が参謀本部みたいなものでそばについていて、ご主人が立案してそれを進めていくわけですね。卵巣がんなのですが、まず手術をして……これは Stage が書いてありませんけれども、IIIの幾つかで 術後の抗がん剤をしっかりやるという部類に入っているのですけれども、その術後の抗がん剤は北大病院でやったものですから、その時期がくると札幌へ行ってやると、その間に私の病院に入院して代替療法をしっかりやるということなんですね。
 これはご主人が全部決めて、私は相談を受けるだけなんですけれども、92年の10月に手術をして、もちろん化学療法は病院の提案ですけれども、すぐに始めたのが十全大補湯、丸山ワクチン、リンパ球療法、MMK、プロポリス、レイシ、青汁、ちょっと多いような気がしますけれども、これはご主人がいろいろ考えて情報を整理してやったものだと思います。その後、私のところへ来られて漢方薬も欲しいということで、私のほうでやったわけです。

 アンサーなんかもやっています、天仙丸とかいろいろです。入院1、入院2と書いてありますけれども、大体1カ月ぐらいの長さで入院を繰り返しております。

 その間に北大で抗がん剤をやって、終わってこちらへ来られるわけですね、そうするともう気功三昧です、気功をやっていろいろな漢方薬を飲んで、丸山ワクチンをちゃんと打って代替療法をしっかりやって、また帰っていくわけですね。こういうふうにずっと同じペースでやっております。

 その後の経過の中で左下肢のリンパ浮腫にちょっとてこずったのと、それから胃に腫瘍ができました。これは結果的には良性の粘膜下腫瘍だったので問題はなかったのですけれども、一時はちょっと悪性のことも考えて少し治療法を変えたりしたことがありました。

 それで12年たったところで丸山ワクチンを卒業して、漢方薬を卒業して、今はアラビノキシランというサプリメントだけ継続、それから気功はもう大ベテランですからあえて話もしませんけれども、日常的にやっていると思います。
 症例を急いでお話ししましたが、こういったことです。



11.さまざまな統合が医療を変える

 結局ホリスティック医学あるいは統合医学というためには、やはりいろいろな統合を水面下でやっていかなければいけない。だから戦略の底のところでこういう身体性、精神性、霊性、要するにからだ身体と心と命の統合体として患者さんをみる、統合体として自分をみるということをお互いにやっていく。
 それから要素還元論と全体論。要するに要素をしっかり見ていくという西洋医学的な考え方と全体をみるという、さっきの一瞥ですけれども、この考え方を統合していく。そして治しと癒しを統合していく。病院論と健康生成論を統合していく。エビデンスと直観を統合していく。
 そして何よりも医師と患者が統合されないとだめですね。この「医師と患者の統合」というのが、がん治療の現場では非常にまだまだなっていません。ここのあたりをしっかりやると同じことをやっても効果が違ってくるだろうと。ですから、これを口をすっぱくして言っているのですけれども、なかなか思うようには……医者が一番いけないんですね、志の高い人がほかの業種はいっぱい出てきているのですけれども医者が一番おくれている。医者がこの辺に目覚めたときに、医者と患者の統合に目覚めたときに、この医療が大きく変ってくるだろうと思っております。



12.生と死の統合をサポートするホリスティック医学

 あとは死についてです。医療者が死を除け者にしていたら何もならないので、やっぱり必ずがんの場合は死に対する不安というものがございます。これは『納棺夫日記』の青木新門さん、『おくりびと』の原作者ですね、青木新門さんの本に、これはもうほんのちょっと取り出してきたんですけれども、要するに患者さんの死の不安をやわらげることのできる人は、患者さんよりもちょっと死に近いところに立てる人だと、要するに死に近いところに立っている、あるいは歩いている人。
 そこで彼はこう言っています。お釈迦様では前に進み過ぎていると、親鸞には少し前を行くよき人法然がいたと、これは青木新門さんのことばです。ですから少し前を行く人、だから医療者は必ずどんな患者さんよりも前に行かないとだめ、死に近づかないと、死に近づかないといけないということは、もう死ぎりぎりのところを生きないといけないわけですね。となると、もう死生観を日々高め続けるというところに尽きるわけで、常に患者さんよりも医療者は死生観において深いところに立っていないといけないというふうに思っているわけです。これはこれからますます大事なことになるだろうと、そう思っております。
 結局ホリスティック医学の究極は生と死の統合なんですね、生きながらにして生と死の統合を果たすということをサポートするのがホリスティック医学です。ところが生きながらにして生と死を統合するという人がだんだん亡くなっていく方の中で、私の目の前に出てきました。この人は生と死を統合したなと思うわれる人が、けれどもまだまだ少数ですね。ですから、これはもうみんな生きとし生けるものが生と死を統合して死んでいくということを目指すと、しかし、あまりにその思いが強くなるとこれは非常にストレスになってからだによくありません。だから私は生きているうちにできれば儲けもの、できなかったら死んでからやればいいと思っております。(笑)そうするとたかを括ることができるとストレスにならないんですね、そういうことでホリスティック医学の究極ですね。



13.おわりに -がん治療のこれから-

 きょう、お話ししたかったのは、がん治療のこれからというかホリスティック医学を私がやってきて、今たどり着いたのがここなんですね。

 まだまだこれから進まなければいけないのですけれども、要するに場の自然治癒力を高める、病院という場の自然治癒力を高めるのだと、自然治癒力は本願と哀しみ、他力と自力の統合ですと、そしてダガンさんの戦略とひらめき、戦略的直観、あの全体をパッと見るということを怠らないように、それはもちろん細かくみる片方の要素還元論もきちっとわきまえた上です。それから死生観、どんな患者さんがいても常にその人の少し前を行く人になる、必ずその人より死に近いところに立つというこの3つ。
 これに「日本医大にて」と書いてありますね、これは免疫の高橋秀実先生に頼まれて日本医大で講演したことがありまして、そのときのスライドできょうのためではないんですね、(笑) こういうことでその中で丸山ワクチンの位置取りというのをおわかりいただければと思います。
 ご清聴ありがとうございました。(拍手)