第9回講演会
プログラム2
「丸山ワクチンによるがん治療の軌跡と問題点」
静岡県立静岡がんセンター研究所参与
亀谷 徹先生
1.はじめに -皮膚結核の治療薬からスタートした丸山ワクチン-
亀谷です。これからしばらく「丸山ワクチンによるがん治療の軌跡と問題点」という演題でお話をさせていただきたいと思います。 皆様もうご存じだと思いますが、この丸山ワクチンが初めてつくられたのは戦争中1944年なんですね、日本医大の皮膚科の先生であった丸山千里博士がつくったわけです。 そしてその後、この丸山ワクチンはどういうふうに使われたかということをこれから少しお話いたします。 ここ40年ぐらい、丸山ワクチンはほとんどがんに対して使われておりますが、始めはがんには使わなかったんですね、何に使ったかといいますと皮膚の病気に使ったのです。
丸山ワクチンは初めに皮膚の結核にどうも効くらしいということがわかってきまして、表の左側にいろんな病名がありますが、皆さんもなじみのないものですし、私だってなじみのない病気が多いのですが、ともかく皮膚の結核ですね、こういうものに丸山ワクチンを投与したら皮膚結核がかなりの数治ったということが丸山博士によって発見されました。
全体で518名の患者さんのうちの408名の方がほとんど完全に治ったと、そしてその方々は再発もないという状態です。
また、完全には治らなくても38例は大体は治ってかなりよくなったということ、それからかなり軽快したというのが67例ということで全体で513名の方がこのワクチンによって救われたと。
皆さんもご存じないと思いますが、この皮膚の結核というのはかなり長いんですね、そしてすごく悩むのです。
顔全体がやられたり、それから全身の皮膚がやられたりする病気でありまして、それがこういうふうに大部分このワクチンによって治るということが発見されたわけです。
2.最初のがん治療症例 -進行胃がんでワクチン療法が著効-
ところが、いろいろなことからどうもこのワクチンはがんにも効くのではないかということを丸山博士は考えまして、じゃあ、ともかく使ってみようじゃないかということで、かなり進行したがんでもうほとんどこれはどうにもならない、手術もおそらくできないというような胃がんの74歳の女性の患者さんに初めて使われました。
既に進行状態でがん性の腹膜炎があり、食事を口からとることがほとんどできない状態で、おなかを開けてみますと胃の出口のところに手拳大の腫瘤を認めました。1968年です。
これはもう手術はできないというわけで、空腸ろうをつくって手術は終わったわけです。
術後46日より毎日1回ワクチンを注射し、初めは口からは何もとることができなかったのに注射開始後110日たって、この患者さんは普通食をとるようになったのです。
そしておなかを触っても腫瘤にも触れなくなったと、注射開始後175日でもう腸ろうのチューブはいらず口からちゃんとものを食べて普通に生活ができるという状態に回復いたしました。
これが丸山博士が最初に試みた胃がんに対する丸山ワクチンの効果であります。
まさにこれはそのころでは奇跡としか思えないということでございました。
したがって、こういう例をたくさん集めて学会で発表しても、だれも信じないのではないかということが丸山博士の非常な心配のたねでありました。
3.丸山ワクチンによる治療データの集積
ともかくそれでも158例のいろんな進行したがんに対して丸山ワクチンを使ってみましたところが、先ほどの一例を含め30例に非常によく効いたと、かなり有効が68例あったと、1968年までにこれだけのデータが出てきたわけです(表2)。
しかし、がんがこのような抗がん剤以外の薬で、あるいは手術もしないで治るものかと、みんな首をかしげるに違いないというので、丸山博士はこの論文を発表するのを非常に躊躇したと思うんですね、実際にその心痛のあまりにそのときに心筋梗塞を起こしてしまったということを私は聞いております。
その後、例えば1979年から2000年の20年間で約15万件のがんに対してこのワクチンが使われています。
その中で多いのは胃がんが1万9,600、肺がんが2万2,000、肝臓がんが1万6,127、乳がんが1万3,000、いろんながんの患者さんが丸山ワクチンを使ったわけであります。
そして先ほど言いましたようにかなりの数の方がこの進行がんに対して効力を示しているということがわかったわけです(表3)。
4.最近の4症例で丸山ワクチンの効果を検証する
そこで私は本当にそういうことが実際起こっているのだろうかと、本当に丸山ワクチンが効いたのかどうかということを検証したいと思うようになりまして、もう10年以上前からそういうことをやっておるのですが、ごく最近出た患者さんの例を4例お見せいたします。 そしてどうしてもこれは丸山ワクチンが延命効果を与えたというほかないということを、皆さんにわかっていただきたいと思うわけであります。
まず、初めに4例中の第1例、66歳、男の人で肝細胞がん、肝臓にがんができた患者さんです。
この方は前からアルコール依存症でアルコール性肝硬変があります。
そして1999年5月29日にエコーをやりますと肝臓の後ろのほうに2.5 cm大の病変が見つかりました。
腫瘍マーカーとか画像などから肝細胞がんに間違いないだろうと、しかもそれは Stage IVbという非常に進行した肝細胞がんであるということがわかりました(図2)。
このころから呼吸困難があって全身倦怠感もありましたけれども、患者さんはもちろん家族もがんの化学療法はやってほしくない。
それから腫瘍のところにいく血管をふさいで、そこの腫瘍細胞をできるだけ殺してしまおうという塞栓術も一切やらず、丸山ワクチンだけを始めました。
使用開始後2週間ごろより呼吸困難、全身倦怠感がかなり減ってきました。非常に早いですね、この効き方は。そして食欲の増加を認めました。
4カ月で退院して会社に通うというところまでいったわけであります。
ところが残念なことにアルコール依存症、アルコール性肝硬変がございますので、会社に勤めている間にまた肝機能がだんだん悪くなって、そのために結局は肝不全でお亡くなりになった患者さんです。
この症例は井上先生という方が2001年に報告されております。
次の写真でそのところを見ていただきます。
まず、肝臓の像です。ここに肝臓の腫瘍の影があります。
これはもう腫瘍以外に考えられない(図3)。
肺を見ます。このような2cm、1cmあるいはそれより小さい影が肺の下のほうにかたまってあります。
腫瘍の転移が肺に見られるということであります(図4)。
これはどなたが見ても、お医者さんでなくても、「あっ、これは肺にいっぱい何かある」と、すぐおわかりになると思います。
私共このようなレントゲン写真を見たら、ただちに両側肺の多発転移と判断します。
ところが、それが先ほど言いましたように2カ月で全くなくなってしまったのです、驚くべきことです。
これは井上先生自身がびっくりされて開いた口がふさがらないという表現をそのまま論文に書いております(図5)。
それをさらに証明する裏づけとなるのは腫瘍マーカーというものです(図6)。 肝細胞がんの腫瘍マーカーで非常に役立つものはAFP、それからもう1つはPIVKA-IIというものです。
これが丸山ワクチンを始める前では、1999年5月26日ですが、AFPが8,000、PIVKA-IIが23万1,000であります。
そして丸山ワクチンを始めたところから急速に両方とも下がってしまいます。
そして1999年11月18日のところで8と20になってしまったわけです。
そのあとはほとんど再上昇することはなくて退院するまでこの状態にあったということで、これはどうしても肝細胞がんが肝臓からも、それ転移した肺からも更にほかのところにあったとしても全部がなくなってしまったと考えるほかないということになるわけであります。
この症例で皆さん納得いくでしょうか、普通の抗がん剤も何も使っていないんですよ、それでこういうことが可能かどうかということ、しかしこの写真を見る限り、どうしてもこれはすごいなというふうに思うわけであります。
残念ながらほかの病気でこの方は亡くなってしまったわけですけれども。
次の症例を見てください、これは胆のうがんの患者さんです。
手術をやりました、手術後5年7カ月間生存することができた67歳、女性の患者さんです。
初めに尿の色が黄色くなって全身倦怠感などがあり、大学病院で受診いたしますとエコーにより総胆管・胆のう管の拡張があり、閉塞性黄疸とはっきりと診断できる状態でありました。
胆管がんによる閉塞性黄疸つまり胆管がん、あるいは胆のうがんがあるのだろうということがわかりまして、管を入れて黄疸を少なくすることを、まず初めに一時的にやっております。
そしてそのときに採れた胆汁を細胞診で見ますと、その中にがん細胞が存在することがわかったということであります(図7)。
そこでこれはやはり手術するべきであろうと、そして根治手術をすべきであろうというふうに主治医の先生は考えましておなかを開きました。
図は手術をしたときの初めの略図です(図8)。胃、十二指腸、そして肝臓があります。
肝臓にペタッとくっつくように後ろのほうに胆のうがあるんですね、そしてその胆のうの首のところ、ちょうど胆管に注ぐようなところに腫瘍ができておりました。
そのために黄疸が発生したというわけでありますが、ここの腫瘍は2.8 cmぐらいでそんなに大きいものではありません。
それから肝臓がその後ろにありますが、肝臓の中には転移はまだありませんでした。
これは全部取りきれるなというふうにお医者さんは判断いたしまして、全摘出、それから根治手術を行いました。
この手術は、もちろん肝右葉も胆のうも全部取ります。そして血管とか胆管が周りに癒着していますから、その部分も切除して再建術をしてうまく手術を終わりました。
病理を見てみますと、肉眼で見たところでは腫瘍は完全に摘出されていると考えられますけれども、実際には顕微鏡で見るとリンパ管とか血管への侵襲がいっぱいあります。
私自身もこれを見せていただきました。
そして切除した近傍のリンパ節に転移があると大変なことになるわけですが、それは全くなかった。
それから手術での切除断端を全部調べましたけれども、そこにも腫瘍がないということがわかりました。
「これはうまくいったかな」というふうにお医者さんは考えたそうです。
そして黄疸もとれて術後1カ月後に退院することができまして、お医者さんは術後化学療法を強く勧めました。
しかしこの患者さんはどうしても抗がん剤は嫌だといって頑張りまして、そのかわりにこの時点から5年7カ月以上、丸山ワクチンを確実に一日おきに続けて全経過を通じて化学療法は全く行っておりません(図9)。
2004年11月以降、2007年まで同じ病院で定期的に診察を受けましたが、いろんな検査で異常は全くなくて再発の兆候は見られませんでした。
そしてずっと健康な生活を送っておりまして、その方は大学教授だったものですからハードなスケジュールでありましたけれども、それも健康な状態でこなしておられたというふうに伺っております。
ですから、これは非常に珍しいケースだというので、私が丸山ワクチンの講演のときにぜひ使わせてくださいと云って患者さんがその担当医の先生のところに資料をもらいに行ってくれました。そしてカルテなり手術歴も私は今全部手元に持っております。
2009年ですから手術をしてから五、六年になると思いますが、お医者さんが見てびっくりしてしまって、この人生きていると、「たしかに私ですよ」といったら、「あなたは生きているんですね」という確認をしたという、それくらいお医者さんは驚愕したということです。
ところが残念なことに、その後体力が低下しまして手術を受けた病院で診察を受けましたら、これはどうもここではわからんということでありましたのでほかの病院へ行きました。
そのころから自分でもどうも腹水がたまってきたということを感じたようで、そして穿刺腹水からがん細胞が検出されました。
したがって、これは明らかにがん性の腹膜炎ということがわかりますし、おそらく胆のうがんの再発、播種性の転移であろうと考えるのが道理であります。
そして残念なことに2010年2月3日、腸穿孔を疑わせるような下血もあって自宅療養を続けましたが、永眠されました。
したがって、この方は5年7カ月以上丸山ワクチンを全経過を通じて確実に続けて化学療法はしていないということであります。
この胆のうがんをどういうふうに考えたらいいでしょうか、私もいろいろ考えてみましたが、またいろいろな文献も調べてみました。
胆のうがんの手術の成績というのがここに143例あります(図10)。
これは日本の胆のうがんの患者さんの例をかなりたくさん集められて検討した結果です。
すなわち、非常に早い時期のものは StageIでずっと生き延びるんですね、ところが StageIIになると大分途中で亡くなる方が多くなる、IIIになるとさらに多くなる、そしてIV、この患者さんはIVです、3年で16.7%に減ってしまいます。
そして5年たつとほとんど90%の方が亡くなってしまいます。
すなわち、お医者さんがこの方に会ったときになぜ驚いたかというと、当然こういう状態ですから亡くなっているだろうと思っていたのに亡くなっていないということに驚いたわけであります。
したがって、やはりこれは化学療法も何もほかにやっていないのに、優秀な手術の技術はもちろんですが、これは非常に大事なところだと思いますが、それと一緒にこの丸山ワクチンが効いたというほかないと私は考えております。
これは肺がんの患者さんで第3番目にご紹介したいものであります。8年3カ月間生存されました。70歳の女性です。健診のレントゲンで右の肺に4cm大の結節影があることが発見されたわけであります。10月4日、1カ月ぐらいたった辺りで、考えられた末近くの県立がんセンターに来られたのだと思います。これは私が勤めているがんセンターでありまして、肺の画像からリンパ節などの転移もなく、これは病期はIb期で手術をすれば完全に治るというふうに考えて開胸をしました(図11)。
そうしますと、右の肺に原発巣として肺がん約4cmのものがありました。そして上のほうには小さな非常に初期の原発巣の肺がんも1つありましたけれども、それと同時に困ったことには胸膜の表面に米粒大のつぶつぶがいっぱいありました。これは私たちが見ればすぐ「あっ、これは転移だな」と、そう考えます。しかし念のために私はその専門なものですから、このときに一粒とったものを見ています。明らかな腺がんです。すなわち、この方は既に胸膜に播種を伴う肺がんであるということがわかったわけです。したがって、いまさらこの肺を全摘しても全く意味はないということで結局試験開胸、つまり胸を開けただけにとどまるということになったわけです(図12)。
試験開胸後12日目から抗がん剤投与を開始しました。この方は抗がん剤でやってくださいとおっしゃったのだと思います。その後2年間で、肺の原発巣はなかなか小さくはならないけれども、あまり大きくもなってこなかった。
それから皆さん耳にしたことがあると思われますが、その抗がん剤のかわりにイレッサを2年半ぐらいは使いました。そこそこの効きはあったのですが、あまり急速な増大はない程度でイレッサの効果もあまり良好とはいえず、抗がん剤をもとに戻しました。患者さんの全身倦怠感も強くなって胸膜の腫瘍は進行状態となってきました。
8月に入ったところで抗がん剤治療はもう中止しました。抗がん剤をやってももうむだだというふうに考えたわけであります。そこで呼吸器内科から緩和医療科に転科されました。そして2006年、このときから丸山ワクチンを1日おきで投与することといたしまして、残念ながらことしの1月6日に亡くなっておりますが、その間、丸山ワクチンを約4年3カ月間継続いたしました。この患者さんは初めの4年間は抗がん剤でかなり腫瘍の増殖を抑制したということがいえると思います。しかしそのあとは抗がん剤を使っておりませんから、そのあと4年も生き続けることができたということは、おそらく丸山ワクチンが非常に大きな効果を持ったのではないかということが言えるかと思います。
しかし、この患者さんはその抗がん剤をやめたころから進行はゆっくりとなっておりましたけれども、脳に転移がきまして5カ所の転移をガンマナイフで照射いたしました。ガンマナイフというのは放射線のことです。それから左上腕骨頭部、右大腿骨、右第9肋骨に転移が発見されました。それから左大腿骨、右大腿骨も非常に痛がって骨折を防ぐために放射線をかけました。それから2010年に入って9月16日、さらに脳の11カ所に転移が発見されました。これもガンマナイフでやっつけました。ところが、さらに10月19日、脊椎MRIで胸椎に6カ所、胸椎の上のほうですね、胸の上のほうの脊柱のほうぼうに転移が発見されました。
そして2010年11月13日に肺炎を発症して緊急入院となり、緩和病棟で2011年1月6日に永眠されたわけであります(図13)。
この患者さんをどう考えるでしょうか。ともかく一番初めにがんが発見されてから進行がんでありながら8年3カ月生存することができた患者さんであります。グラフ(図14)は世界中の進行肺がんの患者さんを20年間たくさん集めて、そして分析をした結果です。緩和というのはすなわちほとんど抗がん剤と放射線とは関係ない治療のことですね、例えば麻薬とかそういうものだと思いますが、それと化学療法である抗がん剤をやったもの416名、緩和だけの場合、抗がん剤は一切使わない、これが362名、どちらもかなり大きな患者さんの数ですが、両方ともご覧のように大体並行してどんどん亡くなってしまうわけです。すなわち1年で大体20%以下になります。それから2年で10%以下です。以上は1995年までのデータです。
最近10年のデータをいろいろ調べると少しはよくなっております。そして一時的に、あっ、効いたなということがとらえられます。例えば先ほど申しましたイレッサによってかなり一時的にはよくなるんですね、しかしそれは決して長続きはしません、必ずそれは効かなくなります。そしてすべての患者さんがこういう状態の運命にあるわけであります。したがって2年でこれだけですから3年あたりで全滅ということで非常に深刻で、これが現代の肺がんの状況であります。もちろん、これは手術ができた患者さんは除いてあるわけです。ですからそこはよく考えていただきたいと思います。
次に第4症例です。病期IIIcの卵巣がんの方です。初回手術後10年間健康状態で生存されております。おそらくここに来ておられるのではないかと思いますが、すごく今もお元気な様子と私はうかがいました。58歳の方です。2001年春、右ソケイ部の腫れと歩行困難で来院されました。右ソケイ部といいますとちょうどリンパ節のあるところなんですね、そこが腫れてこれはどうもおかしいというので炎症じゃないか、腫瘍じゃないか、あるいはヘルニアかと考えてそこを採って病理で調べますとそれは腺がん、すなわちがんです。ソケイ部のリンパ節に転移しており、組織上からまず卵巣がんに違いないと考えました。そしてそれはおそらく右卵巣にあるだろうというので手術に踏み切ったわけであります。
図に示しましたのが手術のときの模式図であります(図16)。まんなかに子宮があります。卵巣は両側にあります。子宮の両側から出ている管が卵管です。 この患者さんはおなかを開けているわけですから、この臓器以外に腹腔に大腸とか小腸とか、それから脂肪に大網というものも一緒にあります。そういう腹腔の中を全部調べたところ、卵巣から出た7cmの大きさの原発腫瘍があります。反対側の子宮の壁にくっついている転移巣は6cm、それから割合下のほうの子宮頚部と膀胱の間に挟まっているところに2cmぐらいのもの、それから大網に転移がございました。そのほかに初めに発見されたソケイ部のリンパ節にもやはり転移があったわけです。これだけのものが全部手術によって取られたわけです。したがって一応は根治手術といえるのかもしれませんけれども、それはなかなか心配なことです。
患者さんは普通だったらこの手術をやったあと、こういうふうな進行期の卵巣がんの場合には必ず抗がん剤をやります。しかも時間がおくれてはだめですぐやらなければいけない、しかしこの患者さんはきっぱりと抗がん剤の治療を断りまして、ただ初めだけ、1回だけ投与されました。しかしそれ以後は抗がん剤を使っておりません。丸山ワクチンのみの投与を開始したわけです。すなわち、ほとんど抗がん剤をやっていないといってもいいような患者さんです。
そして卵巣がんを取ったあと、いわゆるマーカーですね、これが急速に減少して10月ごろには一桁になって正常に近くなりました(図17)。ところが、2004年(術後1年半)に3×5cm大の腫瘍が右の下腹部のところにCTで見つかってしまったんですね、だからこれはやっぱり再発だろうというのでもう一度おなかを開けざるを得なかった、そうするとニワトリのタマゴ大の腫瘍がありました。それに大網が癒着しておりましたが、これは大体切除しました。しかしカルテをよく見ますと「数ミリの取り残しがあるように思う」との記載がございます。このときに進行卵巣がんによく見られる腹膜の散布巣、すなわち卵巣がんの末期の患者さんの腹膜を見ますと小さなつぶつぶがいっぱいあるのが普通なんです。私は病理で卵巣がんの解剖をしょっちゅうやったことがございますが、ほとんどこのつぶつぶで腹膜内が埋まっているのが常道です。
しかしこの患者さんはそういうことはなくて、ただ大きなものが1つあったということでした。しかし前のものと合わせて併せて幾つかの目に見える1cm以上のものが5個以上はあったわけです。それで、このときも一回、まだ患者さんが麻酔で眠っておられるときだったのでしょうか、お医者さんが腹腔内に投与しました。しかしその後、抗がん剤は断わられております。その後の検診で再発の兆候がなくて、先日、2月にお電話でお聞きしましたところが全く健康であるというお話を聞かせていただきました。初めの手術以降10年間丸山ワクチンを続けておられます。
この卵巣がんの患者さんをどうみるかということです。ほとんど同じような病気の患者さん52例を検討したものです(図18)。これは日本の例です。寺内さんという人が2009年に発表しておりますが、同じような進みの患者さんでは先ほど申し上げましたこの患者さんと同じように腹膜内に目に見える大きな腫瘤は全部取るということをやって、そのあと Non-delayed 、時を移さず術後にすぐ化学療法をやって12年以上生きている人は43例です。ところが、それを怠って時間が経ってしまった、例えば2週間休みをおいた、1カ月休みをおいたというような患者さん9例の方は全部亡くなっている、7年で全部亡くなっているわけであります。
私たちの第4例の卵巣がんの患者さんはどうでしょうか、化学療法はほとんどやっていません。そうしますと丸山ワクチンが化学療法の代わりをしたと考えればどうでしょうか……と、私は考えております。しかもこの患者さんは抗がん剤のような副作用は全くなくて10年を生き抜かれてきたわけであります。
以上4例を見まして、皆さんどうお考えでしょうか。いや、これはやっぱり丸山ワクチンはただやっただけで、別にそれが効いたわけじゃないとお考えかもしれません。私もこれが絶対効いたという証拠とは言えないわけです。しかしこのような統計からいうと、まずそれを考えないと無理じゃないかというふうに考えております。
5.丸山ワクチンの抗がん作用
(1)木本 哲夫先生の論文
そこで話を変えます。丸山ワクチンをやるとがんはどういうふうに変化するかという課題です。先ほどお話ありましたように木本先生は川崎医科大学の教授をしておられましたが、これは岡山のほうにある川崎医科大学です。この方は今から10年ちょっと前にお亡くなりになりました。それまで約15年間、丸山ワクチンの実験研究に没頭しておられたわけです。そして二十数編の論文を発表されております。それについて少しお話させていただきたいと思います。この図(図19)は1987年丸山ワクチン患者家族の会に寄せられた業績のまとめの冊子の表紙です。
先生はいろんな実験結果からこういうふうな考えをお持ちになったと思われます。私も全面的に同意したいところであります(図20)。
丸山ワクチンというものは、がんとわかったときから始めることが大事であると。年寄りの方には丸山ワクチン単独を第一としますが、増殖の早いがんには制癌剤をやってもよいし、放射線もよいし、取れるものは早く手術で取ることが先決です。丸山ワクチンはこれらの治療をする、しないにかかわらず初めからずっと続けることが必要です。丸山ワクチンは副作用が全然ありません。これは皆様方もいろんなところでお聞きになると思いますが、抗がん剤のような副作用は皆無といっていいと思います。たまに何か発疹がでてきた人の報告例を私は耳にしたことがありますが、それも何千分の一だと思います。累計で39万の患者さんが使っているわけですけれども、私が耳にしたのはただの2回だけです。
(2)がんの発生と増殖
木本先生の実験を理解していただくには、がんというのはどんなものかということを予備知識として持っていただきたいと思います。
がんはだんだん大きくなるというのは皆さんご存じですね、そしてがん細胞というのは、初めは1個の細胞からがん化します。そしてそれが何回か分裂してだんだん大きくなるわけです。10回分裂するとグラフ(図21)に示しましたような数1,000になります。20回分裂すると約100万の数になります。100万の数になってもそれをコンパクトにまとめますと1mmの大きさしかございません。すなわち一つ一つのがん細胞というのは0.01mm程度の大きさしかないから肉眼では見ることができないわけです。それが塊になって初めて目に見えるわけです。だからこのときに既にがん化してから20回分裂の時間がたっているわけです。
1cmになるには30回分裂して約10億の腫瘍細胞が集まらないとそれだけの大きさに見えません。残念ながら1cmのときで、「あっ、これはがんだ」ということをはっきり断言できる方はいらっしゃいますか、皮膚の表面にある場合にはよほど目の優れた人だったら、がんとは言わなくてもこれはおかしいぞということを感じる方がおるかもしれませんけれども、1mmぐらいでは無理ですね、1cmでやっと「あっ、これはちょっと心配だな」という人が出てくるというところなんです。ところが内臓にもがんができます、胃にできます、腸にできます、肺にできます、そういうところにできたものはどうやって小さいやつを見つけるかというと内視鏡、それから画像、それしかありません。それによりますと1cm以上にならないとほとんど不可能なんです。
たまに最近では5mmぐらいで、「俺は発見したぞ」と得意になっている人が胃の内視鏡をやる人でおります。そして10 cmになればこれはえらく大きくなっちゃったな、これじゃ、もうどうしようもないわというのがオチです。例えば乳がんでここまでほっといた人がお医者さんに「あなたは10cmまでよくほっといたな」というようなことを言われる、そういう状態ではこれはどんな人が見てもすぐおかしいとわかりますが、1cmはなかなか難しいのです。ところが実際にがんが発生してから1cmになるにはかなりの時間がかかっているということはおわかりだと思います。ここから10 cmになるのは割合簡単にいきます。もし、人間が死ぬときががんの一生だとしますと初めのがんのヒストリーのほうが長いわけです。半分以上を1cmまでの大きさで費やしてしまうということは、もうその前にかなり時間がたっていると言わざるを得ないのであります。
(3)がんの形態と間質
皆さん実際にがんというのを顕微鏡でご覧になったことは少ないと思いますので、ちょっと話を付け加えさせていただきます。がんというのはいろんな形で存在します。例えばわっかみたいなものをつくってがん細胞が並んだ形であるものもあります(図22-a)。またがん細胞がびっしり詰まって、間にちょっと隙間ができるくらいのもの(図22-b)。それからあるものはがん細胞はほんのわずかで二、三個ずつ散らばって、あとは全部ほかの組織で埋まっているというがんです(図22-d)。
どれが多いかはそのときに病理で見るよりほかないということなのですが、このがんの細胞の並び以外のところに間質と書いてあります。これは何者かというと、がんはある程度大きくなるとこの間質が必ず伴います。そしてその中には何があるかというと血管もあります、リンパ管もあります、組織球もあります、それからおそらくリンパ球もあるでしょう、それから繊維をつくる……これはこれからお話しします膠原繊維をつくる繊維芽細胞というものもこのところから出てまいります。したがって、このタイプのがんというのは間質が多くて膠原繊維も多いということが言えるわけであります。
図22-a を拡大しました。楕円形の形のもので真ん中に黒いところがありますね、この黒いところが核です。そして周りが細胞の細胞質で、一つのがん細胞はこういうふうな形をしておりまして、それが図のように割合きちんと配列しているものもあるし、丸まっているものもあります。そして間に間質があるということであります(図23)。
間質はなぜ必要なのかといいますと、もし間質がなかったらそのがん細胞は栄養を採ることができず自滅してしまいます、がんが人間に寄生してどんどんふえるために間質はぜひとも必要です。間質を持つということは、がんにとっては非常に大事なことなのですが、人間にとっては不利になるわけであります。
(4)がん組織の不均一性
がん組織というものは図24のようにがん細胞の塊があって、普通に顕微鏡で見たぐらいではみんな同じように見えるのですが、実際には不均一なものがかなりあります。
がん組織が不均一であること、すなわちがん組織はがん細胞の性質の違うものが混ざっているということがだんだん知られるようになってきました。
したがって、あるがん細胞は転移しやすい、ある細胞は浸潤しやすい、ある細胞は増殖しやすい、ある細胞は抗がん剤に効きやすい、ある細胞は効きにくいというようないろんな性質を付与することができるかもしれませんが、細かいことはなかなかわかりません。そして実際のがんについてそういうことを一々調べることはありません。
(5)間質中の膠原繊維ががんを取り囲む
そこで木本先生の研究を少しご紹介していきましょう。図25-Aは乳がんの患者さんで腋窩のリンパ節、わきの下のリンパ節と皮膚にがんが転移したところです。このがんの転移は1年くらいたったところで図25-Bのように硬く瘢痕になって、そして一部はポロッと落ちてしまうというような状態になることを木本先生は1984年に発見したわけであります。
そしてその部位の組織を顕微鏡で見ますと、がん細胞は少し残っています。しかし、どのがん細胞も非常にへたっている。そして青く染まっているのは膠原繊維です。(図26)すなわち間質に豊富にある膠原繊維がさらに多くなってがん細胞を取り巻いているというふうに考えられるのであります。そして木本先生はがん細胞が変性・消失しているのだというふうに考えられております。
同じことを実験的に考えます。実験でやるにはどういうことをやるといいかと言いますと、例えば胃がんの細胞を試験管の中でふやすことができます。自由にふやすことができるようになったものを一定量動物の皮下に注射します。そしてそこでどんどんふえるのを見ることができます。したがって、もし丸山ワクチンがそのような移植した腫瘍に効くことがあるとすればだんだん小さくなる、あるいはなかなか大きくなってこない、あるいは初めからもうがんにならないでいつまでもたってもそこに腫瘍ができず、なくなってしまうというようなことが起こるはずです。
この胃がん細胞HGCで見たところが、リンパ球はほとんどなく青い膠原繊維がいっぱいあって、その間にがん細胞が散らばっています(図27)。木本先生はこのがん細胞のあり方を膠原繊維によってがん細胞が取り巻かれてしまった、そしてがん細胞が外へどんどん広がることを拒んでいると、そしてがん細胞自身もだんだん弱らせているというふうに考えられました。
もう一つ、いろんながん細胞の培養、自由にふやすことができる株をつくることができます。一番上はヒトから採った株です。真ん中はマウスから採った株、その下もマウスから採ったもう一つの別の株、しかしいずれもこの腫瘍はメラノーマという悪性腫瘍です。そしてこれに対して丸山ワクチンが効果があるかどうかということを検討したときのデータであります。量が少ないとなかなか抑制効果は出ない、しかし200μg/ml 与えますと抑制効果率は70%であるというのが1989年のときの木本先生のデータであります(図28)。
すなわち、せいぜい大きくなっても30%ぐらいの大きさにしかならない。丸山ワクチンをやらないときの30%しか大きくならないということになります。ということで、やはりこれは丸山ワクチンの効果と考えざるを得ないですし、なぜそういうことが起こるのかということはなかなか難しい問題であります。
6.おわりに -これからの課題-
私はこういう実験を拝見して考えますのに、ともかく実際に丸山ワクチンをやった腫瘍にこういうふうな現象、繊維芽細胞が増え、それに伴ってコラーゲンが増え、間質が多くなるという現象が出てくるということ。そして腫瘍の増殖を止めているということがわかったので、丸山ワクチンはがんの増殖をこういう形で止めているのだということを明らかにしたものだと思います。ただし、膠原繊維がふえてくるというのは何に由来するのか、どういう機序でこれが起こるかということを私も一生懸命考えているところなのですが、なかなかいい考えが浮かびません。
そして木本先生ももちろん、今から11年前に亡くなられたわけですが、亡くなる寸前まで考えたけれども膠原繊維増殖の因子を実証することは出来なかったようです。免疫反応とどういうふうに関係づけるかということも、このデータではなかなかわかりません。ということですが、事実は事実です。ともかくこういう状態がくるということは事実なので、これを皆さんにお伝えしておきたいと思います。
以上で私の話を終わります。(拍手)