講演会(ご案内・ご報告)

第5回講演会

プログラム2
「がん治療法におけるタカ派とハト派」
医・科学ジャーナリスト:宮田 親平


1.はじめに:がん研究史への関心

医・科学ジャーナリスト:宮田 親平  ただいま過分な紹介をいただきました宮田でございます。どうぞよろしくお願いいたします。こういうとき話の始まりでアメリカ人はジョークから始めて、日本人は卑下と謙遜と言い訳から始まるといいますけれども、私は日本人でございますので、まず、言い訳と卑下から申し上げます。
 前回、お招きを受けまして藤田先生、竹中先生のお話をうかがって、藤田先生のプロのスピーカーもどきのすばらしい話術に感銘を受けまして、それから竹中先生はご自分も2つもがんを、重複癌を体験された体験ですね、それからその後患者さんのためにウエルネスというサポート団体をつくって一生懸命働いていらっしゃるということ。さらにご自身をお使いになっての丸山ワクチンの臨床体験のお話をうかがって非常に感銘を受けたのですけれども、それと比べて私は話が下手で、私が講演に行くんだと言ったら家内がよしてくれと。私のような下手な者にもときどき講演を頼みに来られる気の毒な方たちがおりまして、一度だけ家内が聞きに来まして、もうだめだからやめろと言われたのですが、あえて勇気をふるってまいりました。
 私の講演が下手な理由は2つありまして、1つはもともと多少社会性に欠けておりまして、対人恐怖みたいなのがありまして、そのために登校拒否をしたこともあるのです。それなのに、なぜジャーナリズムという人とたくさん接しなければならない職業に転じたかと申しますと、本当は実験室で動物や物を相手に生きていくつもりでございましたが、精神医学でいう行動療法というものですか、あえて何か人と接する商売に行けば何とかなるのではないかと思って転業したのですけれども、いまだに治りません。
 もう1つの理由は、これまた長い言い訳になりますけれども、医療に多少関係があるので少しお聞きいただければと思うのですが、私が三十代のときですから今から40年前ですか、耳の下の辺がすごく腫れてきまして、私の友人がある大学で医師になっておりましたので、頼って行きましたら耳鼻科に紹介されました。そしてその先生が一生懸命薬を飲ませてくれる、注射してくれる、それから口の中から針みたいのを入れて生理食塩水とかで一生懸命やってもさっぱり治らない、それで先生は、恐らく腫瘍ではないかと思ったのでしょう、手術をすると言い出したのです。私の友人が必死になってとめまして、幸いにして手術を受けないで済んだのですけれども、それ以後、一向に治りません。
 ところが、その先生が数十年後にある大学の教授になっておりまして、その先生に「先生、結局治らなかったんですよ」と言いましたら、「ああー、あれは誤診でした」と、(笑)あの当時はCTもMRIもなかったからわからなかったのですと、あなたのあれは顎関節症でしたとおっしゃるのです。ですからやっぱり医学の進歩にうまくマッチして皆さんは治療を受ける必要があると思います。そのおかげでいまだに私は話すときに脳で考えたことと口で出てくることにワンクッションありまして、顎を開けなればならないものですから、それでときどきとんでもない間違いが起こります。例えばAの女性が好きになったのにBの女性をくどいてしまう、それが今の女房であると言ったら女房に殺されますから、それはやめますけれども、(笑)これは謙遜でなく悪いジョークでありまして全部取り消します。で、これから本当の話をいたします。
 私は大学では本当にとば口だけだったのですけれども、薬学の石館守三先生に師事いたしました。石館先生は実は丸山先生と非常に深い関係がありまして、きょう受付で働いていらっしゃった亀谷さんは丸山先生のお嬢さんでございます。そのお嬢さんが石館先生の秘書を長くやっておられまして、非常に深い関わりがあろうと思います。その私がなぜ文芸出版社に入ってしまったかというと実験が下手だからという非常に簡単な理由でありまして、それと生活のためもありまして、早く給料をもらって親を安心させたいということもあったのです。
 それから延々四十何年間が文芸出版社にいて働いて参りました。その間に非常に恵まれていたのは、1960年(昭和35年)にアメリカの財団の援助をいただいて、ヨーロッパとアメリカの病院、研究所、大学をずっと回り歩くというすごい特権的な機会を与えられて、あちこちの大学、病院を回りました。その中にニューヨークにスローン・ケタリングがんセンターというのがありまして、そこは研究所と病院が両方あって、その当時のアメリカ最大のがん病院だったのですが、それをモデルにして日本のがんセンターができたのだそうですけれども、杉浦兼松という有名ながん化学療法のパイオニアといわれている日本人ですが、若いときにアメリカに渡って苦労してアメリカで有数のがん学者になった方のお話を聞きまして、がん化学療法というのは日本では私の恩師の石館守三先生が始めたのですが、そのパイオニアに当たるのが今申し上げた杉浦兼松先生です。その杉浦先生ががん化学療法のアメリカでの自分のご苦労をお話なさったついでに、もう一人研究所内におもしろい人がいるから会わせてあげようといって会わせてくださったのがシャーロット・フレンドという非常にチャーミングな女性研究者でありました。
 杉浦先生のお話ですと、そのフレンド女史はがんウイルスを発見した人だというのです。ここで私は本当にわからなくなりまして、それからがんという不思議な病気に対する関心が、もともと石館守三先生が日本で初めて抗がん剤のナイトロミンという薬を発見されたということもありましたが、それからがんの研究史というものを自分なりに少し勉強してみたつもりでございます。ことに臨床の方はこれから次の先生がもっと詳しくお話になるかと思いますので、私は基礎の歴史の一部のようなものをぜひお話申し上げたいと思っております。
 私の恩師の石館守三先生がナイトロミンをおつくりになったとき共同研究者となったのが東大の病理学の教授であった吉田富三先生です。吉田富三先生は肝臓に作用させて吉田肉腫というモデルをおつくりになりました。これは抗がん剤をつくるには非常に絶好の材料だったのです。なぜかと申しますと抗がん剤が効いたか効かないという一つの方法としては、もちろん動物が相手ですけれども、がんが小さくなったか大きくなったかを測るという方法があるのですけれども、それでは体の中ですからなかなかよくわかりません。それに対して吉田先生がつくったのは腹水がんといってお腹に溜まって出てくるバラバラになったがんの細胞でありまして、これは顕微鏡でみればどのくらいそのがん細胞ができてそのうちの何パーセントは、その試した新しい抗がん剤で死んだかどうかというのがわかる、数量化ができるのです。それを私の恩師の石館先生がその論文を読んで感心しまして、これで抗がん剤をつくろうといって初めてつくられたのがナイトロミンでありました。
 石館先生はそのほかにもハンセン病の妙薬であるフロミンという薬とかいろんな薬をおつくりになりましたが、私の出た薬学というのは、ここに薬学の人はいないでしょうね。(笑)薬をつくらないことで定評のある学問でありまして、先生が薬学らしく薬をおつくりになったことに非常に感銘を受けて石館先生の門下に入ったわけでございますが、2年ほどいてすぐドロップアウトいたしまして、大変申しわけないことをしたのですけれども、非常に寛大な先生でいらっしゃいまして、私が十何年か前にがんの薬物療法の歴史の本を書きましたときに、先生が率先して君のために出版記念会をやろうとおっしゃっていただいて出版記念会をやっていただきました。たしか学士会館だったと思いますけれども、本当に感謝しております。
 医学には今、篠原先生がおっしゃったように基礎と臨床がありますが、私は医師でもないし医学者でもありませんので、基礎の歴史を少しこれからお話申し上げたいと思います。
 その前に吉田富三先生の言葉として、吉田先生は単なる医学者だけでなくて哲学的な面も持っていらっしゃいまして、その中で「がんの謎は生命学の奥底に横たわっている謎に通ずる」というものがあります。これが今日にも生きている金言でございまして、これから歴史をたどると少しはおわかりになっていただけると思いますが、すばらしい先生です。最近、吉田先生のお弟子さんのがん研の先生が順天堂大学に「がん哲学外来」というのをつくりまして、朝日新聞にも書かれましたけれども、それは吉田先生の哲学を伝えているものだと思います。



2.がんの原因諸説

 がんの原因は何か。私がスローン・ケタリングへ行ったり、それから吉田先生と石館先生が抗がん剤をつくったりしたときには全くわからなかったのです。五里霧中といってもよかった。その中で一番古いのが今でも生きているのですけれども、慢性刺激説という説です。ある刺激が長期にわたってされるとそこからがんが出てくる。これは病理学の祖といわれているドイツのウィルヒョウという人が言い出した説でありまして、これを証明するために有名な山極勝三郎という東大の病理学の教授がウサギの耳に根気よく何カ月もタールを塗布して証明したという、これはもうがんの歴史には必ず出てくる有名な美談というか努力談でございます。
 ところが、その慢性刺激という言葉がちょっとよくわからない。慢性というのは長期という意味ですけれども、刺激とは何か、その刺激の中身は何かということの大研究が始まりまして、スライドに示しましたようにこれだけ説があります。
 最初に出てきたのは胎児迷芽説といいます。これも不思議な話で胎児ができてくるときに最初は少ない細胞ですね、それで胎児から大人になっていきますが、途中で胎児から大人になり損ねた細胞が残っていてそれががんになってくるという説で、これも一時期有名になった説であります。実際に胎児迷芽説で説明できるがんもあるとおっしゃるがんの先生もいらっしゃいます。
 それから栄養説です。これも今でも生きていまして、食べ物ががんをつくるというのは、例えば塩分の多いものを食べるために胃がんができるという長く伝えられた説があります。それから遺伝説というのがあります。これはちょっと難しい問題ですけれども。
 細菌説というのはその当時、微生物の狩人の時代といわれてペストとか結核とか次から次といわゆる伝染病といわれるものは病原菌によって起こるということがわかったものですから、がんも多分細菌が原因であろうという説が非常に色濃く出たのですけれども、これは結局一遍は消えたのですが、最近、有名なピロリ菌が胃がんの原因だということがほぼ確定しまして、また一遍消えたものが出てくるというのはおもしろいところです。ですから、哲学や宗教の中では「正統」と「異端」という考え方がありますけれども、まさしくがんの研究史というのは「正統」と「異端」の対立史でありまして、いつ「異端」といわれたものが「正統」にならないとも限りません。
 それからウイルス説ですが、これまた異端視されたのですが、これが実はがんの謎を解くかぎになります。それから寄生虫説というのがあります。これは実は20世紀の初めごろ、これを唱えたフィビガーというデンマークの学者がノーベル賞を受けました。で、今はノーベル賞最大の失敗と言われております。(笑)むしろ全く同時にがんをつくった山極勝三郎先生にこそノーベル賞が与えられるべきものであったということになっておりますが、やっぱり日本人というのは多少損するところがあったのでしょうか。
 そのほかに化学物質説は今でも生きていますね、これは例えば染料を合成している工場でがんがたくさん発生するという説です。それから放射線説はもちろん有名な放射能を発見したキュリー夫人が白血病になりました。それからホルモン異常説も今も生きております。ことに乳がんとか前立腺がんにホルモンが関係しているのは間違いのない事実であります。それから体細胞突然変異説、これは遺伝学の方から出てきたもので体細胞というのは生殖細胞以外の細胞という意味ですが、突然変異してがんになると。これが実は一番のもとになって太い流れになってくるのです。そのほかに免疫監視機構説というのがあります。これはフランク・マクファーレン・バーネットというオーストラリアの学者が唱えたもので、ノーベル賞を受けた学者でありますけれども、がんというのは免疫が監視していると、その機構がだんだん年をとって壊れていくとがんができるという説で、サーベイランスドクトリンといいまして一時期一世を風靡したものでございます。
 最後にがん遺伝子というのが発見されます。実はがん遺伝子というのは先ほど申し上げたウイルスから出てきた遺伝子でありまして、私が大学におりましたころ有名な病理学の先生などは、がんをウイルスだなどと世迷い言をいう学者がいるなどと言っておりましたけれども、これは大間違いでして、まさしくがんウイルスはすなわちがん遺伝子だったのです。がんウイルスの持っている遺伝子と同じものを人間は持っているのだと、それが出てきたのががんウイルスに過ぎないのだと、それからがん遺伝子(オンコジン)が一斉に発見されてきます。
 これだけ原因説がいろいろ出たわけですが、なかで免疫療法というのは免疫監視機構説が伏線になっているということをちょっと覚えておいていただきたいと思います。



3.がんの三大療法

 こうして免疫療法が出てきたにもかかわらず、なかなか「異端」のままで「正統」になりません。現在のがんの3大治療法は私の次の先生からお話いただけると思いますが、外科療法が始まりでございまして、これはもちろんがんというのが体の中にできるこぶのようなものであるという考え方で、こぶならば取ればいいだろうというのでそれを取るために麻酔術が進んできて発展したわけです。まず恐らくは体の表面にできることが多い乳がんから始まって、それからお腹を開けることができて手術が一斉に発達してきます。
 その次に申し上げるのは、放射線療法であります。化学療法というのは薬物療法のことですが、これが出てくるには相当時間が要りまして、私がニューヨークでお会いした杉浦兼松先生は非常に偏見にさらされて、薬などでがんが治るわけがないと言われたのを、それを庇護するスローン・ケタリングの院長が杉浦先生に自由にやらせて、やっとできたのですけれども、とにかく化学療法はずっとあとからできた治療法です。白血病、それからリンパ腫のような体の一部から出てくるものでない、病気とわかったときには既に体中に広がってしまっており、手術療法の対象にならないがんに対する治療法として出てまいります。
 これも非常に不思議だと思うのですが、なぜ薬物療法といわずに化学療法というかですが、これは私が調べますと化学療法というのは、実は細菌の原因の伝染病、感染症に対する薬から始まったのです。それを始めたのが20世紀の初めごろにノーベル賞を受けたパウル・エールリッヒという学者ですが、この人は化学が好きで動物の感染症に次から次といろんな化学薬品を打ち込んだのです。これを魔法の弾丸といったのですが、なかなか当りません。606番目に当ったのがサルバルサンという梅毒の薬であります。それで化学薬品で治すのであるから化学療法と言ったのです。ところがこの定義がだんだん広がってきます。
 私は卒業したときに武田薬品という会社を受けたのですが、見事に落ちました。落ちた理由はペニシリンや抗生物質を化学療法の中に入れてしまったのです。化学療法というのはどこまでも合成した化学薬品をいうのであって、ペニシリンは青かびから出てくるし、ストレプトマイシンは放線菌という菌から出てきます。そういう菌がつくるようなものは化学薬品ではないから化学療法とはいわないといっているうちに、ペニシリンも一部合成できたり全部合成できたりすると、いつの間にか抗生物質も化学療法に入ってしまったので、あのときの試験の答案は間違っていないのに何であの会社は入れてくれなかったのかなと、今でも残念に思っております。
 ところがどの療法にもいろいろ欠陥もありました。外科療法はこれから外科の先生がお話になるのにこんなことを言ってはいけないのですが、一時期拡大根治手術といってどんどんリンパ腺を片端からとっていく、それから大きくそれこそお腹の中が空になるくらいな手術をする先生もいまして、それはもうとにかく一個のがん細胞でも残してはいけないという気持ちだったからしょうがなかったのですけれども広がってきました。そのため大きな後遺症が残る。それに対して放射線療法は、標的にきちっと入れられないときには副作用が大きくなります。ただ、最近の放射線療法というのは非常によくなりまして、がんセンターの中でも例えば食道がんなどは、今は外科療法から放射線療法へ変動しつつありますので、これからは一番希望の持てる分野であると思います。
 その次に化学療法があるのですが、これはナイトロミンをおつくりになった石館先生に申しわけないのですけれども、なかなかうまくいきませんでして、そのときは朝日新聞や何かに一面に出たりして我々の薬学出身者には誇りだったのですけれども、やってみるとそうはうまくいきません。化学療法というからには、がん細胞の何か特徴を発見してそこに焦点を当てて、ほかの正常の細胞には害を与えないという薬を発見したつもりだったのですが、結局のところ、がん細胞の特徴というのは急速に分裂する、増殖するというところがありまして、そこに焦点を当てますと体の中にはがん細胞よりももっと増殖の激しい細胞がありまして、それを片端からやっつけてしまいます。例えば消化器がそうです、それから毛髪が抜けるとか、どちらに害があってどちらをやっつけたのかわからない、そのために化学療法死という死に方をされた方も随分いらっしゃるのではないかと思うのです。
 私は10年前ぐらいまである週刊誌に頼まれて全国の病院を回り歩きました。重複もありますけれども都合600ほどの病院を回ったわけでございますが、その間に医療の激しい進歩がありまして非常に勉強になりましたが、その中である大学病院に行きましたら、そこの内科部長の先生が私の病院ではほとんど全員に化学療法をしていますということでびっくり仰天いたしまして、それを化学療法の大家に言いましたら、それはとんでもない話だと。というのは、化学療法というのは単剤といいまして一つの薬で効くのはせいぜい20%か30%ぐらいなのです。その後進歩しまして多剤併用といって幾つかの薬を組み合わせましたが、それは経験でやられたのですけれども、それでも50%になるかならないかぐらいです。そうすると副作用が大きいものですから一体全体副作用だけしか受けないで、肝心の効く方にはならない感じであるのと、その逆の人とどちらが多いかよくわからない。
 ですから化学療法というのは原理としては非常におもしろいのですけれども、どうも一部のがんを除くと成功していません。最近は大分違う薬が出てきまして、また少しよくなりましたが、それでも50%はいっていません。最大の問題は化学療法をするときに、この人に効くか効かないというのはいまだにわかる方法がないのです。それで化学療法感受性試験というものを30年ぐらい前から言われる人がおりまして、そのセミナーに私出たことがありますけれども、結局いろいろ試みたがダメだったです。やってみなければわからないと、ここが大問題でしていまだにそうです。がんセンターでは昔と違って化学療法を非常に慎重にやっていらっしゃいますが、それでもわからないと。そして効かないと撤退する時期が難しいのです。一番いい方法というのは結局これから何十年もたって医学が進歩していくと、がん細胞の遺伝子がわかることによってそこでわかっていくかもしれませんけれども、今の段階では化学療法というのは難問だらけと言わざるを得ません。
 そこで、今までがんの治療法を3つ挙げましたが、一体全体がんの治療法というのは本当に治療になっているのかという問題が絶えず出てきます。そこで一番肝心なのは治るとはどういうことかということだと思うのですけれども、一番原則的には体が元に復するということだと思います。例えば風邪をひきます、そうしますと温まって二、三日寝る、あるいはときには薬も飲みますけれども、そうすると元に戻りますね、これは治るんですね。それから抗生物質を使うおかげで軽い感染症は治るということもあります、これは完全に元に戻ります。ところががんでは元に戻るということは非常に難しいのです。外科療法では臓器の一部をとられてしまう、放射線療法では放射線の被害が起きる、化学療法でも副作用がある。ですから、いかにして副作用の少ない、害のない、元に完全に戻れる療法はないかということで一生懸命苦労していた学者がたくさんいらっしゃいます。その方たちによって発展してきて、いまだにまだ異端」の領域にありますけれども、それが免疫療法だと思います。



4.免疫療法の歴史と謎

 ここで免疫療法の歴史を申し上げます。そして丸山先生のワクチンが歴史的にどういう時点で入ってくるかということを申し上げます。まず、コーレー・トキシンですが、私が1960年に行きましたスローン・ケタリングがんセンターの前身にメモリアル病院というのがありまして、先ほど申し上げた杉浦兼松先生がお勤めになっていたところであります。ここにウイリアム・コーレーという外科医がおりまして、この人は骨肉腫をほとんど専門に治療していたのです。ところが17歳だか18歳だかの女性の骨肉腫を見てやむを得ず足を切り落とした、これも痛ましい話でありますけれども、結局この方は死んでしまったのです。彼は外科医として恐らく二十代のころだったと思いますが、非常に煩悶してもっといい治療法はないかと思って過去の症例を探してみたら、もうほとんどの人が再発して死んでしまうと。この再発ということがなければ、がんというのはずっと楽になるのですけれども。彼は非常に苦しみまして過去の症例をほこりだらけになって探してみましたら、そこに一人だけ治った患者がいたのです。
 なぜ治ったかといいますと、その患者さんは末期と思われた骨肉腫の患者さんだったのですけれども、感染症で非常に発熱を起こしていたのです。病気はその当時でいう丹毒、溶血性連鎖球菌という細菌による病気です。ところが不思議なことにがんが消えて帰って行ったというのです。それで彼はびっくりしまして、この患者さんを追跡します。苦心に苦心を重ねて何十軒も探したところニューヨークのあるアパートで彼に会えました、彼はぴんぴんしていました。そうすると丹毒の菌を感染させることが、もしかしたらがんの治療に役立つのではないかということで思い立って試みたのが新しい治療法です。
 ところが、それには周りのお医者さんたちもびっくりしまして、既にもう致死的な病気になっている人に、さらに同じような致死的な病気を植えつけるのかと言われましたが、やってみたところまた治る人がいたのです。しかし同時に丹毒の菌を植えつけるわけですから、そのために死ぬ患者もいていろいろ批判もされて反省して、そういう副作用のそれほどない丹毒の菌に霊菌という別の菌をつけて混ぜた薬をつくったワクチン、これをコーレー・トキシンといいまして一時期非常に評判になったのですけれども、ヨーロッパやアメリカでもフォローする人がいたのですけれども、立ち消えになってきます。そのひとつには手術療法の他に放射線治療がちょうど出てくるときであったということです。
 その後、全く免疫療法に手を出す人はいなかったのですけれども、1960年代になりまして免疫とがんの関係があきらかになってきて復活致します。その中で先ほど述べたマクファーレン・バーネットというオーストラリア出身の有名な免疫学者がおりまして、この人は本当はウイルス学者だったのですけれども、免疫学者に途中からなっちゃいましてノーベル賞を受けるのですけれども、その方が晩年になって免疫監視機構説というのを言い出します。これは論文を読んだりしますと非常に合理的に聞こえるのですけれども、がんはほとんど日常発生しているというのです。ところが実際にはがん細胞は発生しているが、がんという病変になるまでには至らないと、なぜかというと免疫監視機構というのが見張っていてどんどん潰しているからであると。では、その免疫を強くすればもしかしたらがんが治るかもしれない、あるいは予防することができるのではないか。
 そこで一斉に免疫療法の見直しが始まります。なかでもウイリアム・コーレーさんの娘さんにヘレン・コーレー・ノーツ夫人という方がおりまして、この人が強烈な性格の人で父親の記録を全部ほこりだらけになりながら探し出して、こんなに治っていたと。日本にも来ましてそのころ大ブームが起こった。
 それで一斉に我が国で免疫療法を始めようじゃないかということで幾つかの治療薬が認可されるのですが、その中でも一番世界的に有名になったのはフランスのジョルジュ・マテのBCG療法です。BCGですから結核菌の一種ですけれども、それを昔の疱瘡みたいにお尻に穿刺してやるのですけれども、絶対にこれはやらない患者より寿命が伸びたというので、私は役得でこの方が来たときに講演を聞きに行きましたところ大変な熱気でした。梅澤先生とか秦先生、桜井先生などが見えて大激論になりつつありましたけれども、これが今度はイギリスの医学審議会がフランスでそんなに効いたというのならイギリスでやってみようということで、前向きに試験をやりますが、そんなに差はなかったという結果になります。それでまた消えてしまうのです。これが二回目の免疫療法の消え方ですけれども、その前に丸山先生はこのSSMを発見されていたというのは先ほどの山極先生と同じに、もっともっと世界的に評価されなければいけないのに大変残念だと思います。
 そして消え去ったのに今度は1980年にローゼンバーグの活性化リンパ球療法というのが出てきます。これもやはりコーレーと同じようにヒューマンな動機から出てきたのであって、患者さんがせっかく治ったように見えても再発することが多いと、そのために体の中のリンパ球を外へ出して、そして活性化してそれを戻してやったら元気なリンパ球ががんを包囲してやっつけるのではないかといって、これも世界的なブームになって日本でも例えば広島大学などでも追試をされました。また、アメリカでの有名な話は、女性の海軍少佐という方ががんで死にかかっていたのが、このローゼンバーグの治療を受けて見事によみがえってどこかの基地の長官になったという話がありまして、そういうことで非常に脚光を浴びたのですが、不思議なことにこれも大規模試験でやった人とやらない人で試験を始めると消えてしまう、いつの間にか消えるのです。なぜか、ここに非常にがん免疫療法の謎が含まれていると思います。吉田先生が言われた「がんの謎は生命学の奥底に横たわっている謎に通ずる」ということであります。
 最近ではがんワクチンがこれからどういうふうに発展するかはよくわからないのですけれども、しかし丸山先生がされたSSMの治療というのは、私はこうやって長年の歴史を見ても大変ユニークな位置にあると思います。それでこれからがん免疫療法の発達というのは、私は2つの方角があると思うのです。
 一つは、大規模試験をやるとがん免疫療法というのはコーレー・トキシンのときもそうですが、マテのBCG療法でもローゼンバーグの活性化リンパ球療法でもなぜか消えてしまう、有効性が低いということなのです。それはそこに何か大間違いがあるのではないかという感じを私はするのです。というのは、名前は言いませんけれども日本癌学会の大物といわれている先生が、がん免疫療法を化学療法と同じように対症例をとって比較するという方法は、免疫療法には当てはまらないのではないかというのです。というのは、化学療法には必ずがん細胞からレスポンスがあります。それはなぜかというと、がんの分裂を抑制するという細胞が必ずあるわけですから、ところががんワクチンの免疫療法にはそういう特徴はない。一方で化学療法はは何か必ず数字が出るのです。ところがその数字が果たして意味があるのかどうかという問題があります。
 先ほど申し上げたように化学療法では効くか効かないかがわからないところが問題だと申し上げましたけれども、実は免疫療法はもっとわからないのです。というのは、最後に中井先生のエッセイのことを申し上げようと思ったのですが、今篠原先生がほとんど話されたので僕は言わずに済んだのですけれども、あの中に非常に含蓄の多い文がたくさんあります。一体全体、丸山ワクチンというのは効いたのか……先生の文章は文学的ですからはっきりしないところがあるのですけれども、「全部は効いたとは言えないだろう、しかし効かなかったとも言えないだろう」というような、何か含み多いことをおっしゃっていますけれども、それは先ほど言った癌学会の大物の先生がおっしゃったように、効くものもあるが効かないものもある、それがはっきりと分かれているのです。化学療法みたいにそれが有効であれ有害であれ傾斜して現れてずっと並ぶのではなくて、効く人には効く、効かない人には効かない、それを統計的に処理する意味が一体全体あるのかということだと思います。
 そうすると、どうなのでしょうか。結局、がんの治療法というのは今まで患者をマスとして考えている考え方が強かったのですけれども、一人一人の患者を個別的にみなければいけない時代がきていると思うのです。それはオーダーメード治療とかカスタムメード治療とかといわれているけれども、なかなか実現いたしません。しかし医療態度としてそれはできるのであって、井口先生のお書きになった『愚徹のひと』ですか、あの中にも書いていらっしゃいますけれども、非常に丸山先生は一人一人の患者に親切でその患者の心までつかむようなお気持ちを持っていらっしゃったと私は考えざるを得ません。
 残念ながら医学ジャーナリストをやっているときに丸山先生にお目にかかったことがございませんでしたけれども、前回の会に参加させていただきまして、たくさんの方が集まっていらっしゃるのでびっくりしました。こういう治療法、しかも正規の治療法からは民間療法などといわれた治療ですと、大体それをやられた方が亡くなられると消えてしまうということが多いのですが、今になってこんなにたくさんの方々が集まられるということは丸山先生の徳の大きさだけでなくなにか真実があるということであります。



5.これからのがん治療の方向

 これからがん免疫療法はどういうふうに発達していくかですが、それは一つにはがんワクチンの開発で最近分子生物学的なアプローチが非常に盛んになってきまして、がん細胞の外側表面の抗原をターゲットとし、標的をはっきり定めて治すという方法であります。それはここのところがんの薬はいろいろ出ておりますが、その中の乳がんのハーセプチンという薬が一種のターゲット療法でありまして、あれは免疫療法の一部と考えていいです。ただ、この方法というのはそれこそ15年ぐらい前に一時ミサイル療法などといって喧伝されましたが、やってみたらそのミサイルは途中で打ち落とされてしまうのです。そしてそのつくった抗体は動物につくらせた抗体ですから拒絶反応が起こるということなのです。最近は分子生物学的に動物の抗体と人間のそれの両方をミックスした拒絶されないワクチンができてきました。それはハーセプチンもその一種だと思いますけれども、これから一斉に出てくると思います。
 そういう意味で、今までのタカ派的な発想のがん細胞は何でも殺してしまえという方法から平和共存的な行き方にこれからいくと思いますし、実際にオーソドックスな治療法でも外科療法は縮小手術に移りつつあると。それから化学療法でもカスタムメードということで一人一人に合った薬をやるという時代になってくると思います。その点でも丸山先生は非常に先見の明があったと思うのです。
 もう一つは、人間が一体全体物質であるのかどうかという問題でありまして、医療は精神と体の両方の総和であるということを考えなければいけないと思うのです。私の知っている精神科医で患者の心をちっとも考えない医者のことを、あれは肉体派の医者だと言っておりますが、確かにそういう面があり過ぎたかもしれません。丸山先生のように個々の患者に対してやさしい医療であることがこれからの教訓ではないかと、丸山先生が大変な教訓をお残しになってくださったのだと思います。
 最後に、また自分のことで恥ずかしいのですけれども、私は3年前に山から落ちまして大怪我いたしまして手足が動かなくなりまして、病院で入院、リハビリを受けました。おかげでここに立つことができるようになったのですけれども、幸いにしてその間にいい治療を受けまして、医療というのが人間同士の助け合いであるということを痛感いたしました。これは自分で医療を受けたおかげだと思っています。丸山先生もこれだけたくさんの患者さん方の希望としてされている理由は、やはり丸山先生にそれだけの希望をもたらすだけの人徳、人格がおありだったと思います。これからも医療がそうなることを私は望んでやみません。下手な話になりましたけれども、本当にご清聴ありがとうございます。(拍手)